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Posted by 滋賀咲くブログ at

2023年03月26日

一週間前の今日、今、コンサートが始まった。。。


Ma rendi pur contento
Della mia bella il core
E ti perdono,amore,
Se lieto il mio non è.

それでも、あの人の心を喜ばせてあげて下さい。
私の大切なあの人の心を
たとえ私が幸せでなくとも
愛の神よ、私はあなたを許せます。
Ma rendi pur contento〜BELLINI



撮影 スタジオ・エコール


イタリアのボローニャと日本の滋賀米原市の距離は9,544㎞。
電話ではほんの少しのタイムラグで、まるですぐ向かいに互いがいるように話をできる。

昨年の秋に決めたリサイタルから5ヶ月、じゅうぶんとは言えないが、パートナーと準備を重ねてきた。
訪れてくださるお客様と、音楽を共有できる時間を「忘れられない時間」にするために。



一部 


イタリアの音楽は、それがたとえ悲しみを歌ったものであっても「幸せ」がある。
人が歌い、音楽を表現する喜びがどういうものなのか、学生の頃とは違った受け止め方ができるのは、長く歌ってきたご褒美かもしれない。





イタリア暮らしが長いカオリ(共演者の鈴木カオリさん)とは、長い長い付き合いだが、こうして共演したのは初めてだった。
私が生まれ育った地で、日本の歌曲を愛し歌い続けて来た時間、カオリはイタリアで学び、今は歌劇場でマエストロ・コッラボラトーレをするまでになった。



二部


もしも私が、望んでヨーロッパの地で必死に勉強していたら、今頃どんな風になっていただろう。
納得のできる歌い手になっていたか、それとも挫折してしただろうか、、、
開演の間際に、そんなことをふと考えた。



二部 椿姫「さようなら、過ぎ去った日よ」ヴェルディ


お互いに認め合っているからこそ、楽しめるコンサートだったし、必死で取り組めた。
初めての試みだった歌詞のテロップ投影。
照明の色や演出に何時間も時間をかけた。
チラシやプログラムも演出も、カオリや仲間といつもお客様のことを考えて、作り上げたコンサートだった。



アンコール「猫の二重唱」ロッシーニ


Gli affanni suoi pavento
Più degli affanni miei,
Perché Più vivo in lei
Di quel ch'io vivo in me.

私は自分の苦しみより、あなたの苦しみの方が心配だからです。
なぜなら、私はあなたの中に生き続けるからです。
自分のこと以上に あなたのことを。





一週間前の今日。
コンサートが始まった。


  


Posted by 白谷仁子 at 14:07地域活動世界の歌音楽企画 湖音ko-on

2023年01月21日

コンサートのお知らせ!「イタリア〜流れる旋律と愛の言葉」



3月19日、米原市ルッチプラザ ベルホール310にて、サイタル「イタリア〜流れる旋律と愛の言葉」」を開催します。
今回、私をサポートしてくれるピアニストは、イタリアのボローニャ・フェッラーラ他の歌劇場でマエストロ・コッラボラトーレとして仕事をする鈴木カオリさんです。







いまや「大切な、そして頼りになる友人」ともいえる元教え子のカオリさんとは、かれこれ30年ほどの付き合いとなりますが、ステージで共演するのは今回が初めてです。
30年前、私のレッスン室で一緒に学んだイタリア古典歌曲からロマン派歌曲、そしてカオリさんの本業であるオペラのアリアまで。
今、最高に楽しい「とき」を共に過ごせています。
マエストロ・コッラボラトーレというお仕事は、単にピアノの伴奏をするだけでなく、歌手への指導や、時には発声指導もします。
久しぶりにイタリア語の歌を歌うことになり、カオリさんからのアドヴァイスは私にとって新鮮で、また声楽家としての新たな財産にもなっています。

今回のリサイタルは私にとって3年ぶりです。
3年という月日、それはは音楽・歌に対する様々な思いを静かに振り返る「とき」でもありました。
その間も、音楽活動を続けてこれたことは、地域や仲間、ホールスタッフの皆様に支えられていたからこそと、今改めて思います。

3月19日(日)、イタリアの音楽、お話を楽しんでいただくだけでなく、これから音楽家を目指す学生さんにも、一つの刺激となれば嬉しく思います。




  


Posted by 白谷仁子 at 16:31地域活動世界の歌芸術音楽企画 湖音ko-on

2022年09月05日

人が歌うこと。。。

「私たちが何気無く、ともすれば気づかないうちにしているハミングや鼻歌は、いつ頃、どんな民族から始まったのだろう。」


《8月28日concertパリ旅情ウエルカムコンサートby ラ・ルミエール》



「誰に聴いてもらうでもなく、大抵は一人でいる時間に無意識に出てくるハミングは、人間がどんな心理の時に出てくるのか、また、人間の発声の中で一番自然で美しいと言われる鼻歌を口ずさむ時、体は、声帯はどのような状態なのだろうか・・・。」

そんな疑問を持ちつつ、大学を出てから35年近く携わった様々な仕事の中で、またそこで出会った人たちと関わる中で、少しずつだけれど見えて来たものがある。






音楽の力、歌の力は未知なものだ。
丸一日話したところで心理など伝えることはできない。
人と人とを繋ぎ、ある時は病を癒し、歌う時に働く脳の深い部分は、私たちが「命の危険」を察知する部分と同一であると書かれた著書もある。
「歌う」ことは、単に楽しみや娯楽ではなく、紀元前から人間の心身が進化してきた経過にとって、とても重要であることは間違いない。






ルネサンス以降、バロック、古典派、ロマン派と、音楽が芸術として捉えられるようになってから、まだ500〜600年しか経っていないけれど、その歴史は全く揺るぎなく現代に伝えられている。そして楽の歴史は、塗り替えられていない。

日常、歌が生活の一部としてあるような人が、ある日突然「コーラスはいけません。」と言われる。
その時、歌えないことよりも、歌ってはいけないと強いられることに違和感や戸惑いをおぼえる人の方が多かったのではないだろうか。

歌を本業にしている人でも、事情で一週間、1ヶ月・・・と歌えないことはある。
だけれど人は、「歌ってはいけない」と強いられることで、それがたとえ1日でも、とても苦しい。

歌うことは、人間にとって「大切」とか「必要」とか以前に、ただただ「自然」なことなのだ。
お茶を飲んだり食事をしたり、誰かが恋しくなったり眠くなったり、泣いたり笑ったり・・・当たり前のことなのだ。

コロナ禍の中、コンサート活動やコーラス活動は、気をつけなくてはならないことがたくさんある。
止むを得ず自粛期間を置かねばならない時もあるかもしれない。
でも、人間はこれまで気の遠くなるような時空を自然とかかわりながら超えて来た。

その自然の中の一つが歌、音楽と考えると、私たちは時間の流れに逆らうことなく、心と頭の声を聞きながら、信じるものが導くほうへ歩いていくことが、今できる最大のことのように思える。

ここに述べたことは私のおもいの、ほんのひとかけらにすぎないけれど、私が代表をしている2つのコーラスグループ「コーラス・ユウスゲ」と「ラ・ルミエール」の最大のテーマかもしれない。
助け合い、支え合い、いつも前を向いていること。
人と人が繋がり生きていく上で最も大切なことを、世代の異なる2つのグループから私は教えられている。







文化産業交流会館でのウエルカム・コンサートは2回目。
地域のホール、施設はどこもあたたかくて親切だ。
快く承諾し、新たなスペースの準備もしてくださったことに、感謝は尽きない。。。


●ウエルカムコンサート プログラム●
『誰にも言わずに』から 
         詩 金子みすゞ 曲 相澤直人 
   ・露
   ・このみち
   ・私と小鳥と鈴と
   ・色紙
 シャローム   ダン・フォレスト

来年2023年9月、ラ・ルミエール第1回定期演奏会を米原市ルッチプラザで開催します!!!。

  


2022年09月04日

コンサートから一週間。。。


コンサートから一週間が経った。。。


《こだわりのコンサートプログラム》



演奏の場は、その隅々が自己表現であって、イメージから企画、パートナーとのコミュニケーション、チラシ・プログラム、当日の張り紙まで、そこに集まる人たちと時間を共にすることだけに気持ちを集中させてきた。
プログラムへのこだわりもその中の一つ。



Photo:スタジオエコール


「失敗したくない」、「ドレスは何色?」、「ヘアスタイルはどうしよう・・」若い頃はそんなことばかり考えていた。
今はコンサート前後の数日間がイメージできているかいないかが何より大切で、それによってステージでのmotivationが決まるようになって来た。





・・・コンサート「パリ旅情」プログラムから・・・
フランスの音楽に憧れを抱き始めたのは、30年近く前のことでした。ポー ル・ヴェルレーヌの詩とガブリエル・フォーレの幻想的な歌曲の世界の虜に なった私は、様々な歌手によるフォーレの歌曲を聴きあさるうちに、自身で も歌いたいという強い思いを持つようになりました。日本語、イタリア語、 ドイツ語など、他国の言葉と音楽との融合は、まだ学生だった私の日常に億 のエッセンスを与えてくれましたが、大学を卒業してから取り組んだフラン ス歌曲は、別の意味で「自分の中に眠っていた音楽」を呼び覚ませてくれた のです。フランスをテーマにしたコンサートを企画する中で、憧れはますま す募り、その思いと麻友子さんのお誘いが、2020年2月、私をパリへと旅 立たせました。 パリの文化に憧れる人、パリの風景に魅了される人、日本でもたくさんの人 がそれぞれにパリという国を愛し続けています。今回のコンサートで選んだ 「パリ旅情」の詩人、深尾須磨子氏は、49歳の働き盛りに仕事で何度もパ リを訪れていました。その20年後、1957年69歳の時には、プライベート で1年間パリに暮らし、「パリ横丁」というエッセーと詩を書きました。2 年後に本が発行された直後、それを待っていたかのように8つの詩を選び、 歌曲「パリ旅情」を作曲したのが高田三郎です。時代は変わっても変わるこ とのない「人が何かを愛する気持ち」を、今日は「パリ旅情」を通し表現し たいと思っています。
、10年後に再びパリを訪れ、詩人と同じ年頃の私が早朝のセーヌ川辺りを ゆっくりと歩く姿が、私にははっきりと見えるのです。






麻友子さんと出会った頃、彼女はまだ学生さんで、真剣に音楽に向き合う健気で可憐な姿に惹かれたことをよくおぼえている。
それから何度か共演を重ね、パリで共演した時は、親子ほど年の違う私を見事にサポートし素晴らしいピアノで歌わせてくれた。
今回、プログラム後半のドビュッシー 版画「塔(パゴダ)」「グラナダの夕べ」「雨の庭」 は、その音の美しさについて、コンサート後たくさんのお客様から感動の声をいただいた。





「これからは好きに歌わせて欲しい!」
こんなトークに、会場は優しく笑いを乗せてくれた。
ある時から、既製品のような歌からはもう卒業したいと思った。
何が正しいのか、空の上の作曲家には聞けない。
残されたのは楽譜だけ。
そこから何を読み取ってどう表現するかで、演奏家の実力がわかる。

まだまだ勉強。
一生勉強。
きっとお空に昇っても勉強。。。


●お礼●
コンサート「パリ旅情」に足を運んでくださったお客様、立ち上げから終演までンサートのお手伝いをしてくださったスタッフのみなさま、文化産業交流会館のみなさま、コンサート前のウェルカム・コンサートで少ない人数ながら綺麗なハーモニーを披露してくれたラ・ルミエールのメンバー、そしてどんな時も白谷仁子を励まし勇気付けてくれる心の友達に、心から感謝いたします。
ありがとうございました。  続きを読む


Posted by 白谷仁子 at 22:07コーラス地域活動うた音楽企画 湖音ko-on

2022年06月29日

無になり 空になり。。。

  私の孤独は 透明体になり
     無になり 空になり 
       〜深尾須磨子「冬の森」から (パリ旅情)






まだ2年しか経っていないのか・・・と、2020年2月のパリの空を思い出すたびに感じる。
自宅に帰り着いた時、パリへ行っていたとは言えないような独特の空気に日本は包まれていた。
得体の知れない恐怖と、「パリが歌いおさめなんて、洒落ているよね。」なんて諦めに近い気持ちがザワザワと胸に押し寄せて、ちゃんと眠れない夜が続いた。
そんな中でも、いくつかのコンサートや歌の仕事が続けてこれたことが、今では奇跡のようにも思えるのだ。

PCR検査を受けていても、コンサートの後2週間は怖くてこわくて、神棚に祈る毎日だった。
「こんな時期に歌うなんて、コンサートなど非常識。」
「音楽などなくても、生きることに何も困らない。」
そんな言葉が耳に、目に入るたびに心の葛藤は膨らみ、涙した。
自分にとってではなく、人間にとって音楽というものがどういうものなのか、言葉にならない活字が頭の中をグルグルまわった。

でも、誰にも、何も言えなかった。
もしも自分が音楽をしていなかったら、同じことを言っていたかもしれないからだ。

「お父さんがね、今日も ”最高や、もういつ死んでもええわいー” なんて言うんよ。」
コンサートの直後、電話をする度、いつも母がこう言って笑っていた。
父は、自分が娘の歌を聴くのと同じくらい、その歌を聴いて笑顔で帰っていくお客さんの姿を見るのが好きだった。

音楽とは、歌とはどういうものなのか。
なぜ人は歌うのか。。。

言葉にならない活字は、父の横顔と共に私の心の中で少しずつ透明になっていくだろう。





◆お問い合わせ
090-4300-9616
koon.msk@gmail.com(白谷)


*******************************

6月24日、父が天寿を全ういたしました。
生前、コンサートの会場などではたくさんの方々に優しいお言葉をかけていただき、感謝申し上げます。
私に音楽の道を授けてくれた父、努力を惜しまないその生き方を最後まで示し続けてくれた父を誇りに、今まで以上に研鑽を積み、心の音楽をみなさまに届けていけるよう努力してまいります。
どうか、これからも声楽家 白谷仁子を見守っていただきますよう、よろしくおねがいいたします。

                                   白谷仁子
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2022年04月10日

詩人 野口雨情 生誕140年に寄せて。。。



 今年、2022年5月29日は、童謡・民謡詩人である野口雨情の生誕140年にあたります。
2013年、CD「白谷仁子 日本の歌シリーズ 野口雨情の童謡と民謡 “やがて土に”」(piano 竹中直美)が完成し、多くのステージで雨情の童謡・民謡を歌ってきました。
野口雨情の詩の世界と私。
この節目のときに、また新たな気持ちで、「やがて土に」という雨情の言葉と向き合って見たいと思います。







私が北茨城市磯原に訪れたのは2011年1月27日、震災の起こる43日前の事でした。
そしてその日は、詩人〈野口雨情〉の命日でした。
その日、野口雨情生家を訪れた私は、その落ち着きある佇まいに、何か『懐かしさ』のようなものを感じました。生家の2階の窓から見える海を眺めていた私の目の前を、大粒の雪が舞い始めた頃には、もうすっかり雨情の童謡・民謡の世界に引き込まれていました。

思えば、物心付いた時から雨情の童謡は私にとって、とても身近なものでした。
それは特別誰かに習ったわけでもなく、ただ、毎日のように家のどこからか聴こえてくる母の歌声が、私と雨情との出会いを作ってくれたのです。
ある時は足踏みミシンの「カタカタ・・」という音と共に、ある時はまな板の「トントン」という音と共に。

時折夕暮れ時に聴こえてきた母の歌う《赤い靴》は、私を言いようのない寂しさで包み込みました。
物悲しいメロディーにのせて歌われる、「いっちゃった」というフレーズは、子供心に『戻れない』『引き返せない』という、深い悲しみを感じさせました。

私が、赤い靴を履いていたきみちゃんという女の子が実在していたという事、そしてこの歌にまつわるエピソードを知ったのは、ずっと後になってからの事でした。
不思議なのは、幼い私が耳にした母の歌う《赤い靴》の印象は、その事を知った大人になった今も、全く変わらないということです。
〜 CD「白谷仁子 日本の歌シリーズ 野口雨情の童謡と民謡 “やがて土に”」から〜







  赤い靴
『青い眼の人形』から

赤い靴 はいてた
女の子
異人さんに つれられて
行つちゃった

横浜の 埠頭から
船に乗つて
異人さんに つれられて
行つちゃった

今では 青い目に
なつちやつて
異人さんのお国に
ゐるんだらう

赤い靴 みるたび
考へる
異人さんに逢ふたび
考へる

「小学女生」大正10年12月。
「小学女生」に掲載された初出形では第一連一行目〈はいてた〉→〈はいてゐた〉。第二連二行目〈船に〉→〈汽船に〉。第四連二行・三行・四行目〈考へる/異人さんに逢ふたび/考へる〉→〈思ひ出す/異人さん見るたび/思ひ出す〉である。




  


Posted by 白谷仁子 at 20:51うた音楽企画 湖音ko-onYou Tube野口雨情

2022年01月09日

心如淵泉、2022年を迎えて。。。


『心如淵泉』
ー 心深い泉の如く深く落ち着いている ー

22年、新年を迎え、ありがたき書の文字に出会った。





ひこね文化デザインフォーラム主催の「文化サロン〜四方山談義」は今日が第1回目。
書家の松宮忠夫先生のテーマ「文字(言葉)を書くことで自分を掘る」は、「私の昨年の言葉」を深く考えるきっかけとなった。

言葉は心とリンクしている。
この歳になると、いやでもそれが見えてしまう。

リズムよく綺麗な言葉を並べると、耳には心地よいが心に入ってこない。
誠実でいようとすると、時に誤解を招く。
言葉はいつも重要なキーワードとなる。

人と繋がることは面倒で、だけれど、それ以上にあたたでありがたい。
私は人が好きだ。
言葉が好きだ。
だから、歌が好きなのだとおもう。





大好きな着物を、しばらく着なかった。
大好きな歌も、昨年は十分の一も歌わなかった。

家に帰って、深呼吸して書いて見た。
『心如淵泉』。

世の中が色を変えても、変わらない自分でいるために。
新しい年をスタートさせよう。。。








  


2021年07月28日

虫のこえとバロックと。。。2017年9月

『ゴールドベルク変奏曲のアリアが始まると、虫は一斉に静まり、
 ついでイタリア協奏曲になると、スィッチョンの声がどこからか聞こえ出し、
 平均律に入ると、ツクツクボーシが賑やかに歌い出しました。
 ・・・わかるんですね、虫さんにも音楽が・・・』

こんなMCをしながら、米原市にある石田三成ゆかりの観音寺境内で、バロックコンサートが開催されてから、もうすぐ4年が経つ。
これは、米原市と私の主宰する音楽企画湖音との企画で、滋賀県アートコラボレーション事業の一環として、本公演となる翌年開催のホールコンサート『エンジョイ・ザ・バロック』の前に、3回のアウトリーチコンサートを行うというものだった。
アウトリーチコンサートとは、演奏家がときに楽器を持参して地域を訪問する、いわば出前コンサートのことだ。

スタートは、チェンバロとソプラノによるバロック音楽のプログラム。
おそらく、会場となった観音寺にチェンバロが運び込まれたのは、長い歴史の中でも初めてのことだろう。

チェンバロ奏者 小林祐香さん(吉田祐香さん)の美しいチェンバロで歌えるという、私にとって幸せな時間でもあった。。。


《モンテヴェルディ「苦しみが甘美なものならば Si dolce è'l tormento, SV 332.」



開け放された板戸と障子、まるで山全部がホールと化した中で、虫の声も歌声もともに溶け込んでいく瞬間が心地よかった。





お寺DEコンサート〜バロックの調べ〜
2017年9月24日(日)13:00開演(12:30開場) 観音寺
    ープログラムー

G.F.ヘンデル
  樹木の影で   調子の良い鍛冶屋

A.スカルラッティ 1660-1726
     オペラ「十人委員会の凋落(ちょうらく)」から
     貴方が私の死の栄光を

C.モンテヴェルディ1567-1643
     苦しみはかくも甘き 

J.S.バッハ 1685-1750
     ゴールドベルク変奏曲よりアリアBWV988 
     イタリア協奏曲BWV971 3楽章


A.ヴィヴァルディ1678-1741
     歌劇「ジュスティーノ」から
             喜びと共に会わん

J.S.バッハ
     平均律ハ長調プレリュードBWV846

J.S.バッハ/C.グノー
Ave Maria

ソプラノ 白谷仁子  チェンバロ 小林祐香


《2017年9月 チェンバロの説明をする祐香さん》



演奏後は、祐香さんの提案で楽器説明を間近で受けることもでき、チェンバロを取り囲むお客様が途絶えることなく続いた。

『ゴールドベルク変奏曲のアリアが始まると、虫は一斉に静まり、
 ついでイタリア協奏曲になると、スィッチョンの声がどこからか聞こえ出し、
 平均律に入ると、ツクツクボーシが賑やかに歌い出しました。』





 ・・・わかるんですね、虫さんにも音楽が・・・  


2021年04月12日

リードオルガン・アンサンブル“fu-kin”ファーストコンサート!終わりました。


捨てられないモノ・・・
いくつありますか?

捨てられないのはモノですか?
それとも思い出ですか?







昨日4月11日、昨年から延期していたコンサート「リードオルガン・アンサンブル“fu-kin”四月の風。今、芽吹くとき」を、たくさんのお客様と共にむかえることができました。
今年で118歳になるリードオルガンさんを、1年待たせてしまいましたが、昨日のご機嫌は最高だったようで、納屋七の空間にとても柔らかな歌声を響かせてくれました。





《三重唱:澤村優子 石田和美 竹中直美》


《三重唱:原田泰彦 神澤智香 白谷仁子》




オルガニスト鈴木開さんのオリジナル曲「彦根(馬場)地方の子守唄による幻想曲」は、遠い昔を偲ばせる懐かしさと物悲しさがあり、お客様もメンバーも、しっとりと聴き入りました。


《オルガン:鈴木開》



縁があって、滋賀県湖東の彦根城下町に今いるオルガンが、私たちと歌い、たくさんの人々の心にひとつの小さな思い出を作りました。
この思い出と、いただいたご縁を大切にしていきたいと思っています。





いただいたコンサートや私たちの活動への感想は、今後の活動にいかしていきます。
コンサート開催にあたり、ひこね文化デザインフォーラム、スタジオエコール、計画工房I.T株式会社のスタッフの方々、ふたば楽器さん、メンバーほか、応援してくださる皆様方に心から感謝いたします。

オルガンはこれまで通り、月に3回位のペースでfu-kinメンバーによって弾きこみをおこない、不具合・修繕箇所のチェックをしていきます。





この日、リードオルガン修繕費募金は9080円。
次のメンテナンスに、大切に使わせていただきます。



  


2021年04月01日

楽器の声。。。



 ブーカ・・・ブーカ・・・
小学2年生まで、二階の私の部屋には足踏みオルガンがあった。
小学校に入るまで過ごしていた団地から持ってきたそのオルガンは、とても調子の良い楽器だった。

お引っ越しと同時に「自分だけの部屋」を与えてもらった私は、夕方になるとその足踏みオルガンを「ブーカ・・・ブーカ・・・」と弾いていた。
忙しそうに足を動かし、少しでも大きな音を出そうと必死に左右のペダルを踏んでいた。

クリスマスを間近に迎えた小学2年生の時、学校から戻ると母に促されて滅多に入らない応接間のドアを開けた。
目の前には真っ黒の大きなモノが”でん”と置かれ、ピカピカ光っていた。

「どう?クリスマスプレゼント!」
そう言って母は満面の笑みで黒いモノを指差した。
高校時代、病弱で音楽大学の進学を諦めた母にとっては、縦型のアップライトピアノは「夢の楽器」だった。

クリスマスに買ってもらうものを決めていた私は、よほどおもしろくない顔をしていたのか、母は「嬉しくない?」と夕飯の時も何度も聞いていた。
私が不機嫌になった最大の理由は、もう不要となった足踏みオルガンを、誰かにあげてしまうと母が言ったことだった。

自分の部屋にあって、いつでも弾ける足踏みオルガンと違い、わざわざ応接間まで行かないと弾けないピアノは、その頃どことなく遠い存在だった。
やがて、それがかけがえのない存在となることなど、知りもしなかった。


楽器というのは、鳴らしてあげると息を吹き返す。
楽器も持つ本当の声を聴いた時、私たちは何か大切なものをもらったような気持ちになる。。

今日は4月11日のコンサートに備え、リードオルガンの修理・メンテナンスをしてもらった。
不思議と子供の時に弾いていた足踏みオルガンのことが、よみがえってきた。。。


《YAMAHAリードオルガン》


《ふたば楽器(西條さん・加藤さん)》



Photo スタジオ・エコール




小学2年生の時、あまり嬉しくなかった「黒いモノ」は、今の私にとって同士のようなもの。
新しくグランドピアノを買った時も手放せず、今もレッスン室ではなく本宅に置いてある。
メトロノームを落として付けた傷も、弾きすぎてガクガクになってしまった鍵盤も、愛おしくて仕方がない。

「大事に使われていたオルガンですね。」
修理が終わって、加藤さんが言われた一言に心があたたかくなった。
このYAMAHAリードオルガンを大事に使っていた持ち主さんには、どんなストーリーがあったのだろう・・・と。







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