ゆさぶれ ゆさぶれ。。。
人は「きっかけ」がないと「きづく」ことができない。
良いことも、悪いことも、自分の心にも。
《茱萸 花言葉「心の純潔」》
茱萸の木が、真っ青な空の下、強風にあおられていた。
たわわなアイボリーの小花はびくともせず、ほとんど人の通らない道の脇に、それは美しい光景を作っていた。
この花たちが宝石のような朱い実をつける秋の頃、何が変わるのだろう。
詩人の倍も生きているのに、
生きているからこそたどり着けない安堵がある。
わかれる昼に
ゆさぶれ 青い梢を
もぎとれ 青い木の実を
ひとよ 昼はとほく澄みわたるので
私のかへつて行く故里が どこかにとほくあるやうだ
何もみな うつとりと今は親切にしてくれる
追憶よりも淡く すこしもちがはない静かさで
単調な 浮雲と風のもつれあひも
きのふの私のうたつてゐたままに
弱い心を 投げあげろ
噛みすてた青くさい核たねを放るやうに
ゆさぶれ ゆさぶれ
ひとよ
いろいろなものがやさしく見いるので
唇を噛んで 私は憤ることが出来ないやうだ
〜立原道造「萱草に寄す」より〜
関連記事