
2020年09月01日
September 。。。4つの最後の歌 (リヒャルト・シュトラウス)
2学期が始まった。
例年とは何かと異なる学校生活だけれど、
一歩、校庭に入ると、
気持ちはとてもシンプルに、
そして静かになる。
朝、車のエンジンをかけたら、
カーステレオからリヒャルト・シュトラウスの「9月」(September)のイントロが流れ出した。
入れっぱなしのCDはユリア・クライター (Julia Kleiter )。
まるで呼吸をするようなのソプラノの美しい歌声で1日が始まった。
ほんの些細な偶然だけれど、
私にとって最高の9月の始まりの朝となった。。。。

September
Der Garten trauert,
kühl sinkt in die Blumen der Regen.
Der Sommer schauert
still seinem Ende entgegen.
Golden tropft Blatt um Blatt
nieder vom hohen Akazienbaum.
Sommer lächelt erstaunt und matt
In den sterbenden Gartentraum.
Lange noch bei den Rosen
bleibt er stehn, sehnt sich nach Ruh.
Langsam tut er
die müdgeword' nen Augen zu.
9月
庭は喪に服し
雨が花々に冷たくしみ込む
夏は震える
静かにその終わりを待ちながら
金色の葉が次々と
高いアカシアの木から落ちる
夏は慌てて物憂げに微笑む
絶えてゆく庭の夢に
長い間薔薇の傍らに
夏はたたずみ、休息を望む
そしてゆっくりと
疲れきった目を閉じる
(詩:ヘルマン・ヘッセ)*訳詩はwikiより
「9月」は、リヒャルト・シュトラウスが84歳の時、1948年に作曲した『4つの最後の歌 』の第2曲目。
管弦楽の伴奏によるソプラノのための歌曲集で、1春 (Frühling )、2九月( September)、3眠りにつくとき( Beim Schlafengehen )、4夕映えの中で( Im Abendrot )からなっています。
ちなみに・・・私は「9月」のピアノ伴奏が大好きです。
2020年07月15日
「はじまり」は「出会い」〜歌をとおして。。。
「はじまり」は、どんな事にもある。
ピアノや歌を教えている私にとって、その「はじまり」の瞬間は、素敵な「出会い」の瞬間となって心に刻まれる。。。

今までどれだけの「出会い」と「始まり」があっただろう。
ふとした瞬間に、その場面がドラマを観ているように思い出されることがある。
真剣になりすぎて反省したり、親御さんとの人間関係に悩んだり・・・
でも、その真ん中にはいつも愛おしい子供達の成長があった。
頬ずりしたくなるような小さなかわいらしい手は、たった数年で私の手の大きさを超えていく。
その嬉しい瞬間は、30年経った今もほのかな寂しさを伴う。。。

昨日は5ヶ月ぶりのヴォイストレーニング・レッスンを対面で行った。
窓を開け放した広々とした公民館に、メンバー3人は大きく間隔をとり、マスクをしたままのレッスンだった。
「自分の声が聞こえすぎてこわい〜・・・」
「変顔で歌ってもマスクしてれば気づかれなくて良いですよね。。。」
和気藹々と楽しい空気の中、60分のレッスンはあっという間に終わってしまった。
今年の2月後半から、メンバー限定のYouTube配信を使ってのオンライン・レッスンのみだったせいか、「みんな一緒」というだけで、それぞれが嬉しかった。
歌い始めて10分も経つと、離れている仲間の声をちゃんと聞き合える。
積み重ねて来た信頼関係は、息づかいや歌声が表現してくれる。

夜、中学生の生徒達がピアノのレッスンにやって来た。
たった数ヶ月で、身長も手も、私と変わらないくらい成長していた。
最後のレッスンを終えて、この数カ月で良くなったところを生徒と話し合った。
「コロナ・ステップだね。」
私にそう言わせてくれた生徒達の頑張りが、泣きそうになるくらい嬉しかった。
そしてその瞬間、私もまた小さなステップ踏んだ。
ズーム、スカイプ、ユーチューブでのレッスン。
この5ヶ月、色々と工夫してやって来た。
確かにピアノも声楽も、対面での指導に勝るものはない。
でも、教室の子供達もコーラスのメンバーも、この間、それぞれがちゃんとステップアップしている。
「人間って、ホント凄い。。」
こんな言葉がマスクの中を嬉しさでいっぱいにした。
長い一生の中の、ほんの一瞬の「はじまり」と「出会い」。
そして、いつか来る「おわり」は、心にまた新しい「はじまり」の種をまいていく。
そんな出会いをくれる歌を、音楽を、これからも大事にしていこうと思った。。。
2020年06月18日
ホルストの「惑星」と紫陽花「銀河」。。。
「透明な水と、茶色の土から、なんで青い花が咲くん?お父さん・・・」
《島根県オリジナルの紫陽花「銀河」》

今年度の高等学校選択授業の音楽は、例年通り・・・というわけにはいかないので、鑑賞に時間をかけることができる。
ホルストの管弦楽組曲「惑星」は、ロマン派の鑑賞課題が終わる2学期、余裕のあれば「木星」を聴く程度だった。
『コロナ世代』などという言葉を目にしたり聞いたりするたびに、生徒たちには「負けないで!」とエールを送りたくなる。
「火星」Mars ~戦争の神
「金星」Venus ~平和の神
「水星」Mercury ~翼のある使いの神
「木星」Jupiter ~快楽の神
「土星」Saturn ~老年の神
「天王星」Uranus ~魔術の神
「海王星」Neptune ~神秘の神
7つの曲を聴き終えて、心の中の世界観が昨日より少しでも大きくなってくれただろうか。。

帰りにお花屋さんによって、「銀河」という名前の紫陽花を父のために買った。
90年近く生きて来た父には、世界はどのように見えているのだろう。
小さい頃、父に言われてよく庭の草むしりをした。
大きな背中は、どんなものからも守ってくれるという安心の象徴だった。
難しい漢字、算数、歴史、聞いたらなんでも教えてくれる父だったが、この質問にはいつも、目を細めて「さぁ、わからん。」と笑っていた。
だから私は、父の笑った顔が見たくなるといつも聞いた。
「透明な水と、茶色の土から、なんで青い花が咲くん?お父さん・・・」と。。。
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2020年06月08日
たった一人にとっての、かけがえのない人生のために。。。
たった一人にとっての
かけがえのない人生のために
好きなこと
学びたいこと
諦める理由なんか
何一つない

6月になって、いろんなことが動き始めた。
周りも、自分も、少しずつ平常を取り戻そうとしている。
不安を言いかけたらきりがない
不満を言いかけたら周りは犯人だらけ
澄んだ空気は自分で探す
生きやすい場所は自分で作る
誰かにとって・・・ではなく
自分のために

誰にとっても一度きり
かけがえのない人生だから
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2020年05月29日
不朽の精神。。。
午後、
ドライブに行きたいという義母を連れて、お空に近い方に向かってどんどん車を走らせた。
トンネルを2つ抜けたら、繋がっているはずの空気の味が全然違った。

自然が作る河・山の風景と、人が作る田んぼの風景との共演があまりにも綺麗で、車をとめてしばらくその風景を二人で眺めていた。
「空気がおいしいね。」
「だれも通らないね。。。」
何を言っていても笑顔になれた。
《サルトリイバラ 花言葉「不屈の精神」》

美しい棚田が広がる景色のうしろに、
サルトリイバラが薄緑の実をつけていた。
花言葉も私らしくポジティブで良い。
歌えない日が続くのは寂しい。。
だけれど、
グレゴリオ聖歌の時代から人類は歌ってきたんだ。
1500年も前から色んな時代を乗り越えて歌ってきたんだ。
もしもコロナが原因で、「コーラスが出来なくなる」「コンサートは難しい」というのなら、もっと前に人類は歌うことをやめていただろう。
地球全体が今、病と戦っているならば、私達細胞である人間は、治癒のために前向きに、そして賢く向き合うしかない。
いつもコーラスのメンバーや生徒に言っている言葉。
「歌を愛する人のもとを、歌はけして離れてはいかない。」のだ。
不朽の精神で時を待つこともまた、『音楽』に精通している。。。
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2020年04月12日
a prayer・・・
梨の花が咲く頃は、高校の授業準備や新年度のコンサート準備に毎年追われていた。
当たり前だった日常が、当たり前ではなくなって
幸福の本当の意味を考える時間が圧倒的に増えた。
《梨 花言葉「愛情」》

1年前、2年前に日常だったことが、今は「願い」「希望」に変わっている。
大切な人たち、名前も顔も知らない、出会ったことのない人も、
みんなみんなに日常の幸福が訪れますように。。。
a prayer・・・
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2020年03月01日
仰げば尊し。。。
春やとき(疾き) 花や遅きと聞き分かむ
鶯だにも 鳴かずもあるかな
古今集 春上
《スイートピー 花言葉「門出」》
毎年おなじ卒業式歌が、その都度春の風のように新鮮に感じられるのは、主役となる卒業生のそれぞれのドラマが、それだけ輝いていたからだろう。
今年は異例の「在校生のいない卒業式」であったものの、体育館に響く歌声はやはり、毎年同様に特別でキラキラしていた。
校長先生の式辞をグランドピアノを前に聴きながら、「心の気付き」という1フレーズが心に残った。
新しい門出に、若いこの子達の心にはどんな「気付き」が生まれるのだろう。
春やとき(疾き) 花や遅きと聞き分かむ
鶯だにも 鳴かずもあるかな
春が来るのが早いの?花が咲くのが遅いの?
鶯の声はいつになったら聞こえるの?
待っていては何も気付けない。
枯れ草をめくってみてごらん。
もっとよく耳をすませてみてごらん。
そうすれば、見えなかったもの、聞こえなかったものが、心のなかでめばえてくるはず。。。
ステージに飾られた華やかな花の中に、可愛らしいスイートピーを見つけた。
式歌『仰げば尊し』のなかの一節。
「思えばいと疾し このとし月」
時間の長さはみんな平等だけど、その厚みは人それぞれ違う。
気付かされることよりも、自らが気付くことの尊さを、ずっと忘れずにいてほしい。。
2018年11月29日
のどかな教育と愛嬌の花。。。
のどかなる 秋の路地に花ひらく
遠い記憶のわらべ歌
《寒椿 花言葉「愛嬌」》

教員免許を「更新」しなくてはならないなんて、大学生だった頃の私は、想像もしていなかっただろう。
「歌うことが大好き」というだけで親元を離れ大阪の大学に進み、教職課程の勉強をしているときも、「教育」について真剣に考えたことなど正直なかった。
「教員になる」という目標に向けて、一心に勉強していた仲の良いお友達を、心から「立派」だと思っていた。
大学を出て、中学校・小学校・高等学校の講師となり、沢山の学びを子供達からもらわなかったら、教員免許の更新は私にとって必要のないものだっただろう。
講習を受けた大学の歩道に、寒椿が見事に蕾をつけていた。
夏に訪れた時には何もなかったのに。。。
正直・・・心に残った講義は全部ではなかったけれど、自分的に学ぶこともあったし楽しめた。
何より、こんな綺麗な寒椿に会うこともできた。
講習が終わり、こんな言葉を私に送ってくれた人がいた。
頭に詰め込んだ色んな文字が、するするとほどけて一本の糸になった。
『教育には方法論なんてないのです。
必要なのは大人の責任感と愛情です。
今の教育は、責任回避(関わりたくない)と利己主義(自分の子さえよければ)と利権主義(教育でひと儲け)に毒されています。
もう一度、のどかな教育に戻してほしいです。
子供には自由に育つ権利があると思いませんか。
手を差し伸べてあげるのが教育、指導であって、大人や組織の思い通りの人間をつくるのが教育ではないでしょう。
勉強のできる子、運動の得意な子、絵の上手な子、歌が得意な子、料理が得意な子、工作が好きな子・・・。いろいろいていいと思いませんか。』
「工作が好きな子」の次に、もう一つ付け足そう。
「愛嬌のある子」
どんなに寒い日でも、真っ赤なほっぺでコロコロ笑う・・・寒椿のように。
これも立派な「才能」だから。
のどかな教育を願って。。。
2018年03月01日
「仰げば尊し」が流れる日。。。
同じものは一つもない。
カタチもオオキサも。
だけれどみんな美味しい。
心を込めて作られた、
お砂糖で覆われた色とりどりの中身は、
素朴でおいしいお豆。
どんな人のお口に入るのか、
そんなことはわからない。
わからないけどどれも丁寧に手作り。
そんなふうに音楽をつくっていきたい。。
そんなふうに生きてほしい。。
《長浜老舗和菓子店 元祖堅ボーロ本舗(清水ボーロ) の五色ボーロ》

「仰げば尊し」が流れる日、
心はチュンと背筋を伸ばし、
新しい門出を祝うためピアノに向かう。
卒業式の最後は式歌「仰げば尊し」。
学校の伝統になっているその歌は、
毎年二部合唱で歌われる。
「仰げば尊し」は明治17年の唱歌とされている。
西洋の香りもする8分の6拍子のメロディーは、
唱歌という感じがしない。
近年、アメリカで原曲が発見されたとされているが、
私自身、あまりそこに興味はない。
歌詞の意味をめぐり様々な意見が飛び交う中、
日本の卒業式から消えていった時期もあったが、
勤務先の高等学校で創立時からずっと歌われてきたと聞いた時、
歌を仕事とする私はとても嬉しかった。
歌を指導していて思うこと。
それは子ども達の歌の歌詞に対する素直さだ。
大人が思うよりずっと心は柔軟でしなやか。
2年前の授業での出来事が次々に浮かんだ。
1年の授業を終えても、
時折廊下で会うと笑顔で「白谷先生!」と声をかけてくれた。
式歌「仰げば尊し」を歌い終えたら、
3年生はそれぞれに可能性を秘めて学校を巣立っていく。
もう廊下で会うこともない。
だから、
歌うように弾いた。
みんなの声と一つになれたような喜びを感じながら。
「自分のこれからを丁寧に手作りして下さい。」
そう願いながら。。。。。

仰げば尊し
仰げば尊し 我が師の恩
教の庭にも はや幾年
思えばいと疾し この年月
今こそ別れめ いざさらば
互に睦し 日ごろの恩
別るる後にも やよ忘るな
身を立て名をあげ やよ励めよ
今こそ別れめ いざさらば
朝夕馴れにし 学びの窓
蛍の灯火 積む白雪
忘るる間ぞなき ゆく年月
今こそ別れめ いざさらば
2018年02月27日
君は希望、夢、未来。。。
君は希望、夢、未来、祈ってる。。。
《近江高等学校吹奏楽部 第24回卒業演奏会 2月25日(日)ひこね文化プラザグランドホールにて》

2月24日、25日、コーラス指導に入っている近江高等学校吹奏楽部の卒業演奏会が開催された。
配布から間もなくで整理券は終了。
高校生の部活動らしからぬ彼らの人気の根っこには、日々の努力とプロ意識が土壌をかためているからだ。
コーラスは「群青」を混声四部合唱で。
合唱係の女の子と交わした複数回のメールのやりとりは、指導者を超えて、私を母親のような気持ちにさせてくれた。
合唱部の部長をしていた中3の頃の自分が、まるで時空を越えてやって来たかのような愛おしさだった。
昨年の終わりから、体調不良と喉の不調で仕事をセーブせざるを得なかった私の事も気遣い、指導は音源をメールで受け取ってのやり取りとなったけれど、そのメールの文末に書かれた優しい言葉に、大人の私がずいぶん元気づけられた。
大学受験、専門学校、就職・・・
ゆっくりと向き合い、考える時間などどこにあったのだろう・・・
それでも自分の道を決めて歩く姿が、ステージでの立ち振る舞いを生み出すのだろうと、今は感じる。
今回は、24日(滋賀県立文化産業交流会館イベントホール)、25日(ひこね文化プラザグランドホール)、両日共に彼らと共演出来る幸せな時間をもらった。
曲は、「祈り ~a prayer」。
卒業していく3年生への心からのメッセージにかえて歌った。

祈り ~a prayer
小さな光たどり 暗い闇を歩く
人はみな旅人 荒野のさすらい人
一筋の光がきみの前を照らす
心にはともし火 いつも灯しながら
それは希望 夢 未来 祈ってる
悲しい出来事や 迷い悩んだこと
やがて満たされるよ きっと信じている
君の姿見えず 声も聞けないけど
いつも感じている 君と共にいると
きみは希望 夢 未来 祈ってる
青い空に浮かぶ 白い雲のように
自由な風に乗って 強く生きていこう
つまづきやためらい 心痛いときは
いつもここにいるよ 君とともにいるよ
いつも希望 夢 未来 祈ってる
きみは希望 夢 未来 祈ってる
〜作詞・作曲:河邉一彦〜

3年生へ
2日間、大きなシネマを観ているような気持ちで君たちと過ごしました。
先生も君たちに負けないよう、一日一日を丁寧に過ごしていきます。
ありがとう!
歌の映像は、また後日youtubeでアップします。