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Posted by 滋賀咲くブログ at

2013年08月31日

サルスベリに想いを寄せて。。。

桜前線が南から北上して春が訪れ、夏を告げるサルスベリが北上し終えると、夏が終わる。。。

入れ替わるように、今度は銀色のススキの波が北から南下し、キンモクセイ、モミジ、サザンカが続く。

春から夏へ。秋から冬へ。季節の移り変わりを律儀に伝えてくれる植物の花たちに、何と感謝したらよいだろう。


《サルスベリ(百日紅)花言葉「愛敬」》




サルスベリは「百日紅」の名の通り、厳しい暑さの中、サワサワと枝を揺らし可憐な花の房を咲かせ続ける。

花言葉は「愛敬」…
優しげな振る舞い、愛嬌…まさにサルスベリにピッタリの花言葉だ。

私の大切な場所、『寂光院』には、赤と白のサルスベリがある。






始めてそのサルスベリに出会ったのは去年のこと。
以来、寂光院のその風景は、私の心の宝物だ。。。






八月最後の今日、ゆっくりと夏の日々を振り返る時間を持てた事に、心から感謝しよう。

それを気づかせてくれた、かけがえのない言葉や風景に、心から感謝しよう。。。


今夜は、私の大切な場所を守るように立っている二本のサルスベリに、静かに静かに心を寄せよう。。。

  


Posted by 白谷仁子 at 19:16お花私。。。

2013年08月30日

キバナコスモス『秋の案内花』。。。


秋の案内花・・・
最近、里に広がる田んぼの中に、見事なお花畑を見ることが出来る。
いっせいに太陽に顔を向けていた夏の向日葵が終わりを迎える頃、秋を案内するかのように、キバナコスモスが姿を見せる。


《キバナコスモス 花言葉「野生美」》





季節毎に、迷うこと無く芽を出し花を咲かせる花達は、美しい遺伝子を次の世界に送る。
時折おもう。。私達に言葉があるように、植物にも言葉があるのではないかと。
ただその言葉が、人には聞こえないだけなのではないかと。








誰かが田んぼに蒔いた種。
その人はきっと知らないだろう。
この美しい光景に、通り過ぎるどれだけ沢山の人達が足を止め、幸せをもらい、元気づけられているかということを。








沢山の人を代表して。。。

「アリガトウ。。」











  


Posted by 白谷仁子 at 21:18ふるさと

2013年08月29日

SONGS〜武満 徹 『燃える秋』(琵琶湖夕景)。。。

西向きの小窓は小さなシネマ。
私だけのスクリーンだった。。。


《昨日(8/29)の夕陽》




夏休みが終わる頃、やり残した宿題をせっせと片付けながら見た、燃えるような夕陽は、今も心にはっきりと焼きついている。
宇宙の時間でいえば、ほんの一瞬であろうそのシネマの1シーンは、子供の私に「怯え」と「哀しみ」、そして強烈なまでの「安らぎ」を与えた。



  燃える秋
  五木寛之

1
燃える 秋
揺れる 愛のこころ
ひとは 出逢い
ともに 生きてゆく

燃える 秋
消える 愛の蜃気楼(ミラージュ)
ひとは 別れ
遠い 旅に出る

*
Oh, Glowing Autumn
and Glowing Love
Oh, Glowing Love
In my Heart, La La Lu......
Glowing Love In my Heart

2
燃える 秋
空は ペルシャンブルー
ひとは 夢み
詩(うた)は 風に消え

夏は 逝(ゆ)き
めぐる 愛の季節
ひとは 信じ
明日を 生きてゆく

*







子供の自分。
西向きの小窓。
お夕飯のおかずの匂い。。。

全てが取り戻すことの出来ないものばかり。

夏が逝き秋が訪れる頃、私の胸には子供の頃見た、琵琶湖の燃えるような夕陽が帰って来る。













  


Posted by 白谷仁子 at 22:35ふるさとうた武満徹

2013年08月28日

SONGS〜武満 徹 『小さな部屋で』。。。

真夏のあぜ道。
厳しい夏の陽射しに耐えた小さな小さな花は、誰に気付かれることなく、だけれどとても楽しげに咲いていた。

朝晩の秋の気配に、ようやく外の景色が気になりはじめたのは、けして私だけではないはず。。。



《ヒメイワダレソウ 花言葉「誠実」》




  小さな部屋で
   川路 明 

1. 小さな部屋で
  父さんが言った
  おまえに何もやれないが
  がまんして、がまんして
  おまえの胸は若いんだから

   *春がきたけど
    なにもない
    夏がきたけど
    なにもない
    何もないけど暖い
    あたたいのは空と風
    あたたかいのは雲と陽光
    ああ、ひとのこころの暖ければ
    何もないけど
    それこそすべて

2. 小さな部屋で
  母さんが言った
  おまえに何もやれないが
  がまんして、がまんして
  垣根に花がいっぱいだから

   *







「何かいいことないかしら・・・」
そう思えることが、実は「いいこと」なのかもしれない。


「何もないけど暖い」
「何もないけどそれこそすべて」
そう思えることが、きっと「いいこと」なのだ。。。

初夏から秋にかけて、乾いた土にしっかりと根をはり、真夏の陽射しに枯れることなく、微笑むように空を見上げるヒメイワダレソウが、そっと教えてくれた。






  


Posted by 白谷仁子 at 20:16お花武満徹

2013年08月27日

SONGS〜武満 徹 『めぐり逢い』。。。

夏がそろそろ終わりを告げる頃、木蔭の涼やかさは、今ある力を精一杯に使い果たすかのように、青々とした光を私達に浴びせる。
葉の隙間からこぼれる光をすくうように手のひらに集めながら、私の心には一つの歌がずっと流れていた。








めぐり逢い
荒木一郎

めぐり逢えるその日までは
つらい夢も見るでしょう
そしてわずか影にのぞく
虹のようなその日

めぐり逢えるその日の空
雨に濡れたくちびる
そして青い木蔭ににる
虹のような二人

愛する二人になぜ苦しみがあるの
愛する二人は涙にぬれてる

めぐり逢えるその日からは
生きる悲しみさえも
ともに抱いて ともに歩き
ともに歌う 虹よ




めぐり逢いがきっと訪れるなら、その日の為に人はいろんな準備をするだろう。
めぐり逢いが必然ではないから、人は「悲しみ」も「寂しさ」も、密かに心にしまい込んでおくことが出来るのだと、私は思う。





  


Posted by 白谷仁子 at 22:36うた武満徹

2013年08月26日

songs〜武満 徹 『うたうだけ』(若き日の歌)。。。

歌うとき、私の目の前には「空」が広がる。

大空に浮かぶ白い雲を、一息で吹き飛ばすように歌う。。。

その時、私の目の前には「空」が広がる。。。






  うたうだけ
  谷川俊太郎


むずかしいことばは
いらないの
かなしいときには
うたうだけ
うたうと、うたうと、うたうと
かなしみはふくれる
ふうせんのように
それが わたしの よろこび


なぐさめのことばは
いらないの
かなしいときには
うたうだけ
うたうと、うたうと、うたうと
かなしみはふくれる
ふうせんのように
それが わたしの よろこび




昨日、ひこね文化プラザで開催された、カウンターテナー 中嶋俊晴さんのリサイタル《若き日の歌》に出掛けた。

バロックからリート、日本歌曲まで、魅力あるカウンターテナーの歌声にホール内は包まれていた。

「うた」は不思議。。。
その人の人間性や人生感を、極めて間接的に空間を使って映し出す。

発声・技術、は「うた」を表現するための手段かもしれないが、そのもっと奥にある、その人だけが持つ『音楽』は、決してステージでつくろうことの出来ないものだ。

私は昨日ラストに歌われた、リヒャルト・シュトラウスの『あした』に、何かとても感動を与えてもらった。
とても、とても、いい歌だった。。。


「うた」は私自身だ・・・といつも思う。

初めて人前で歌を披露したのは、小学4年生のバス遠足。
ペドロ&カプリシャスの『ジョニーへの伝言』だった。
みんなとても褒めてくれた。
意地悪ばかり言っていた男の子までもが、その時だけは褒めてくれた。

「うた」が大好きだったあの頃と今・・・
きっと、何も変わっていないのかもしれない。

どんな時も私は、「うたうだけ」なのだ。。。





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Posted by 白谷仁子 at 22:28コンサートうた武満徹

2013年08月25日

クローネンブルグ BLANC 1664。。。

「お気に入り」があると、人生にちょっとしたスパイスが効いてくる。


《クローネンブルグ BLANC 1664 /フランス》





お仕事を頑張ったあと。
楽しい仲間と共に過ごすとき。
一人で考えたいとき。

「お気に入り」はそんな時の、よきパートナーだ。。。

月に1〜2度ゆっくり食事が出来る時にしか口にしないイタリアの赤ワインが主流の私。
ビールは最後から3番目の飲み物だった。

「BLANC 1664 」はいきなり最初から2番目にランクインした。。。

最高に美味しい物は、口にした瞬間「ありがとう」でいっぱいになる。
最高の音楽を聴いたときもそうだ。








お酒も、音楽も、人も・・・人間の心と体は不思議なほど正直に反応する。。

好きなものは好きなのだ。

だから毎日が楽しいのだ。

次はどんな「お気に入り」に出会えるだろうか。。。




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Posted by 白谷仁子 at 21:40私。。。

2013年08月23日

SONGS〜武満 徹 『恋のかくれんぼ』。。。

「往きはよいよい 帰りはこわい」

このたった2行の言葉に、幼い心は微かな怯えをおぼえ、大人は密かな期待をもつ。。。







恋のかくれんぼ
谷川俊太郎


まあるい地球に朝がきて
だれかとだれかが
かくれんぼ
もおいいかい
まだだよ
かくれるだれかの耳朶(みみたぶ)に
みつけるだれかがキッスしてる



まあるい地球に夜がきて
わたしとあなたと
通りゃんせ
往きはよいよい
帰りはこわい
ここはどこの細道じゃ
ふたりの恋の細道じゃ



歌はもちろん、朗読の講座や小学校の授業で、私は谷川俊太郎の詩を頻繁に取り上げてきた。
谷川俊太郎の詩は、私にとって不思議なほど表現意欲をそそられるものなのだ。

「林光」作曲の「ほうすけのひよこ」を初めて聴いたとき、曲が終わるや否や、楽譜を注文した。
その瞬間に、音符としてではなく、私の頭の中には「一つの壮大なシネマ」として「ほうすけのひよこ」が住んでいる。
15分を超える、歌と朗読の作品は、今でも瞬時に歌うことができる。

「ここはどこの細道じゃ
ふたりの恋の細道じゃ」


「斑女」という映画の為に作曲されたというこの歌。。。
私がまだ産まれていないときに、こんな粋な歌が歌われていたとは・・・






・・・しかも歌っていたのは、ペギー葉山さん・・・
想像しただけで、またまた表現意欲をそそられる。。。





  


Posted by 白谷仁子 at 17:38うた武満徹

2013年08月23日

SONGS〜武満 徹 『雲に向かって起つ』。。。

ただ「ぼぅ・・・」と琵琶湖をながめているのが好きだった。
琵琶湖と空は日の暮れと共にゆっくり色を変え、雲は二度とおなじ姿を見せない。。

幼い私にとってそれは、最終回の来ない永遠に続くドラマだった。。。








『雲に向かって起つ』
谷川俊太郎


燃える瞳に
瞳うつして
愛するものなら
この手に抱こう
こころごころに
よるに耐えて
若い日本の
若い日本の曙に
雲に向かって起つ


熱い大地に
足ふみしめて
信ずる道なら
真直歩こう
にぎるこぶしに
怒りをこめて
若い日本の
若い日本の曙に
雲に向かって起つ


明日の日本のビジョン目指して
たたかう僕等が
歴史をつくろう
くんだかいなに 
勇気がみちて
若い日本の
若い日本の曙に
雲に向かって起つ



一歩前へ踏み出すとき・・・それはとても勇気のいること。
誰かに背中を押されないと、その勇気さえもが消えてしまうこともある。

背中を押されて動くより、遠くに見える何かを捕まえようと踏み出す一歩の方が大きいことに、私は極々最近気付いた。








音楽のよろこびというものは究極において悲しみに連なるものであるかのように思える。その悲しみとは、存在の悲しみというものであり、音楽することの純一な幸福感に浸るとき、それはさらに深い〜武満徹エッセイ選ー言葉の海へ「樹の鏡、草原の鏡」

  


Posted by 白谷仁子 at 06:06うた武満徹

2013年08月21日

SONGS〜武満 徹 『明日ハ晴レカナ、曇リカナ』(ご褒美の満月)。。。

今日がとても悲しい日だったら、きっと人は思う・・・
「明日は良い日だといいな。。」

今日がとても良い日でも、きっと人は思う・・・
「明日も良い日だといいな。。」


ちょうど一週間前、月は驚くほど美しい三日月だった。
昨日見上げた夜空には、見事なほどの真ん丸お月様。
自然と心がウキウキした・・・。

「明日もきっと良い日だ。。。」と心から思えた。



《2013年8月20日 21:15 撮影》




明日ハ晴レカナ、曇リカナ
武満 徹

昨日ノ悲シミ
今日ノ涙
明日ハ晴レカナ
曇リカナ

昨日ノ苦シミ
今日ノ悩ミ
明日ハ晴レカナ
曇リカナ




武満 徹の「明日ハ晴レカナ、曇リカナ」を歌う時、私はいつも宇宙を感じる。。。
それは大げさでもなく、重くもなく、ただ、あっけらかんとした中に、月や大気を自然に感じさせてくれる。


人の涙は色々で

人の苦しみ・哀しみは様々・・・

人の喜びも色々で

人の幸せもまた様々・・・




《金環食の葉陰》



形に残らないこれらの思いに、人はつい振り回されながら明日に期待する。

そして自然は、形のない人の思いの隙間をすり抜けながら、確実に奇跡の絵を残している。












  


Posted by 白谷仁子 at 21:45うた武満徹