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Posted by 滋賀咲くブログ at

2020年04月29日

コンサート『Salon de Musique vol.2 』開催日程延期のお知らせです。


コンサート延期のお知らせです。





2020年度県民協働企画事業
コンサート『Salon de Musique vol.2 -音楽とトークとスイーツと-』の開催延期をお知らせします!

7月5日(日)、滋賀県立文化産業交流会館小劇場を会場に、14時開演(13時30分開場)を予定しておりました『Salon de Musique vol.2 -音楽とトークとスイーツと-』は、新型コロナウイルスの感染拡大防止を考慮し、延期することになりました。

振替公演は、2021年3月6日(土曜日)午後似地開演となります。
チケット販売日は、12月12日(土曜日)午前10時からとなります。

新型コロナウイルスの感染については、まだまだ心配が尽きませんが、「人間の持つ力」を信じ、協力と思いやりで一日も早く「自由に楽しみ」「自由に歌い演奏できる」世の中を取り戻せる日を願うことが、いまの自分に出来ること信じます。



《八重桜 花言葉「ゆたかな教養」》



まるで疫病蔓延の原因のように騒がれた「さくら」。
日に日に話題は消えゆき、花びらの散った桜の木を座り込んで撮影する人は、もう居なくなりました。

今、山桜は遠くの景色を彩り、八重の桜がアチラコチラに咲いています。

私達は来年の今頃、いまの辛さを忘れたかのように家族と、仲間と笑い合っているのでしょうか。
それとも、今よりも更に「我慢」「辛抱」「忍耐」を突きつけられているのでしょうか。

「戦争中はこんなもんやなかったよ。」
母がもし側にいたら、元気を無くしそうな私に、そう言って延々と子供の頃の話を聞かされたでしょう。

忘れたいこと。
忘れなくてはいけないこと。
忘れてはいけないこと。
このことを心で感じられる「教養」について考える時間を、音楽家として大切にしたいと、美しく優しく八重に咲く桜を見ながら思いました。。


  


2020年04月28日

地の上に香りて浄く、薔薇の花。。。



モッコウバラの香りを知っていますか?
八重のモッコウバラには香りはありませんが、一重のこの子には優しい香りがあるんです。


《モッコウバラ 花言葉「あなたにふさわしい人」》



薔薇の花に心をこめて
大木惇夫 詩 山田耕筰 曲

薔薇よ 薔薇
薔薇の花ささげまつる
地の上に香りて浄く
いと美わしき花なれば
薔薇よ 薔薇
大空の御光ありて
ふきいでし花なれば
薔薇よ 薔薇
薔薇の花ささげまつる








つるを何度直しても、寄り添うように伸びていくモッコウバラ。
棘のないモッコウバラはその色も香りも柔らかで優しい。
「あなたにふさわしい人に・・・」
そう健気に寄り添う姿に、暫し心を奪われる。。。




  


Posted by 白谷仁子 at 21:18日本の歌お花園芸

2020年04月26日

春の神様。。。



人知れず 忘れられた茎に咲き

人知れず こぼれ散り

細かな白い だいこんの花
        森繁久彌



《大根の花 花言葉「適応する力」》



小学生の時、「だいこんの花」というテレビドラマが好きだった。
番組の冒頭で、主役の竹脇無我さんの朗読が流れる。。。
幼い私にとって、ストーリーより何より、その朗読を聞くのが楽しみだった。
『声の持つ魅力』を感じるのは、歌も朗読もお芝居も同じだ。

大根の花は美しい。
食べる時期を過ぎても、まるで木のように緑の葉と白い花を咲かせる大根は、まるで春の神様だ。

大根は、どんなお料理にもさり気なく馴染んでしまうお野菜だ。
まさに、適応力に優れている。







真っ白に揺れる春の神様から受け取る力強さとおおらかさを、今一番忘れてはいけないと私は思う。。。



  


Posted by 白谷仁子 at 19:21お花食べ物私。。。

2020年04月24日

空の青と、緑の碧。。。

空が澄んできたと聞いて、家の周りを歩いてみた。
空の青よりも緑の碧のほうが、私には澄んで見えた。


《ハナイカダ 花言葉「嫁の涙」》



 うたふやうにゆつくりと‥‥

日なたには いつものやうに しづかな影が
こまかい模様を編んでゐた 淡く しかしはつきりと
花びらと 枝と 梢と――何もかも……
すべては そして かなしげに うつら うつらしてゐた

私は待ちうけてゐた 一心に 私は
見つめてゐた 山の向うの また
山の向うの空をみたしてゐるきらきらする青を
ながされて行く浮雲を 煙を……

古い小川はまたうたつてゐた 小鳥も
たのしくさへづつてゐた きく人もゐないのに
風と風とはささやきかはしてゐた かすかな言葉を

ああ 不思議な四月よ! 私は 心もはりさけるほど
待ちうけてゐた 私の日々を優しくするひとを
私は 見つめてゐた……風と 影とを……
          立原道造『優しき歌』から






そういえば、その澄んだ緑を作るのは空の色だと、教わった事がある。
その時のことを、その時の空の色を思い出した。。。
  


Posted by 白谷仁子 at 22:19私。。。立原道造

2020年04月19日

ただひとつの『笑顔』のために。。。


4月20日は、母のお誕生日。
あと少しで、母は84歳になる。。。


“コーラスに行けなくなったら、死んでまうわ。。。”

母の口癖だった。
母は、2回の骨折入院をさかいに、生きがいだったコーラスに行けなくなった。
最後となったコーラス・ユウスゲの練習日。
いつものようにお迎えに行って、他愛のない会話をしながら公民館についた。この日、母は車椅子で参加した。

「マコ、恥ずかしいから歩くわ。」
公民館の入り口で母は言った。

「いいよ。じぁ、歩こう!」
車椅子の前にまわり、立たせようと母の両脇に手を入れかけた時、「やっぱり、このままでええわ。」と小さな声がかえってきた。
手に残る脇の下のあたたかさと湿気がとても切なくて、私は母の両脇からなかなか手を抜くことが出来なかった。
「コチョコチョ〜!」
悪ふざけをする私に母は笑いながら大きな声で「こらっ!」と言って、とてもとても嬉しそうだった。

母は幸せは人だと思う。
母にとって最後の「社会」と言えるコーラスの中でも、皆にたくさんの優しさをもらった。

昔から、周りの人に惜しげもなく愛情をそそぎ、そして沢山の人に慕われた母。
兄家族には、感謝してもしきれない。

今は、お世話になっているグループホームのみなさんが、母の「もう一つの家族」だ。


私も兄も、いっぱい叱られて、いっぱい愛された。
そして、大人になってもいっぱい喧嘩をした。

母と会えなくなってひと月になる。
思い出すのは、母のふくよかな柔らかい胸と、私に聴かせてくれた歌声ばかりだ。

《兄家族と私からのバースデーケーキ》



お昼頃、グループホームから届いた写真には、もう一つの家族に囲まれた幸せな母の顔があった。
iPhoneごしの小さなスクリーンの中で、私の縫ったエプロンを付けて笑っている母の頬に、人差し指で何度何度も触れた。


今、世界中が家族と暮らす時間について、その大きさは様々ながら色んな思いを巡らせているだろう。
いつかは消えてしまうものだからこそ、その価値は計り知れなく大きい。

母はやがて、私のことを忘れてしまう時が来かもしれない。
私もいつか、そういう時が来るだろう。

だから、
その時が来ても忘れずに残しておきたい、ただひとつの『笑顔』のために、大切な人たちとの時間を、離れていても大切にしたいと思う。

逢えなくても、大切にしたいと思う。。。







  


Posted by 白谷仁子 at 21:36コーラス私。。。うたYou Tube

2020年04月16日

スペイン風邪と、光。。。


  貫ぬく 光

はじめに ひかりがありました
ひかりは 哀しかつたのです

ひかりは
ありと あらゆるものを
つらぬいて ながれました
あらゆるものに 息を あたへました
いつまでも いつまでも
かなしかれと 祝福(いわわ)れながら
    八木重吉〜詩集『秋の瞳』より(1925年)





今から100年ほど前、1918年から1919年にかけて世界的に流行した「スペイン風邪」は、感染者5億人、死者5,000万〜1億人といわれている。
当時の世界人口の3割近くが、このスペイン風邪に感染したことになる。
日本でも39万人という驚くべき数の人が亡くなったとされている(その後の研究では48万人とも推定)。
人類が初めて出会ったこの「インフルエンザ」の恐怖に、世界はどれほど恐れ慄いたことだろう。

詩人 八木重吉も21歳のときにスペイン風邪にかかり、一時は重体となったものの、3ヶ月の入院を経て家に戻ることができた。
退院の際付き添ってくれた父への思い、そして息子を大切に思う父の様子を、「父」という詩にたくしている。

「貫ぬく 光」を発表したときには、重吉自身が2児の父となっていた。
詩の「ひかり」は、人であり心であり、言葉であるかのように、一節ひと節が頭の中で立ち止まる。
人の痛み・自分の痛みを感じなくなった時、ひかりは「ながれる」ことも「あたえる」こともしなくなると、そう教えているかのようだ。


   はじめに ひかりがありました
         ひかりは 哀しかつたのです・・・



『重吉と旅する。ー29歳で夭逝した魂の詩人』フォレストブックス参照







  


Posted by 白谷仁子 at 21:52私。。。

2020年04月14日

ゆさぶれ ゆさぶれ。。。

人は「きっかけ」がないと「きづく」ことができない。
良いことも、悪いことも、自分の心にも。


《茱萸 花言葉「心の純潔」》



茱萸の木が、真っ青な空の下、強風にあおられていた。
たわわなアイボリーの小花はびくともせず、ほとんど人の通らない道の脇に、それは美しい光景を作っていた。
この花たちが宝石のような朱い実をつける秋の頃、何が変わるのだろう。

詩人の倍も生きているのに、
生きているからこそたどり着けない安堵がある。





  わかれる昼に

ゆさぶれ 青い梢を
もぎとれ 青い木の実を
ひとよ 昼はとほく澄みわたるので
私のかへつて行く故里が どこかにとほくあるやうだ

何もみな うつとりと今は親切にしてくれる
追憶よりも淡く すこしもちがはない静かさで
単調な 浮雲と風のもつれあひも
きのふの私のうたつてゐたままに

弱い心を 投げあげろ
噛みすてた青くさい核たねを放るやうに
ゆさぶれ ゆさぶれ

ひとよ
いろいろなものがやさしく見いるので
唇を噛んで 私は憤ることが出来ないやうだ
       〜立原道造「萱草に寄す」より〜





  


Posted by 白谷仁子 at 17:18お花私。。。立原道造

2020年04月12日

a prayer・・・



梨の花が咲く頃は、高校の授業準備や新年度のコンサート準備に毎年追われていた。
当たり前だった日常が、当たり前ではなくなって
幸福の本当の意味を考える時間が圧倒的に増えた。



《梨 花言葉「愛情」》




1年前、2年前に日常だったことが、今は「願い」「希望」に変わっている。

大切な人たち、名前も顔も知らない、出会ったことのない人も、
みんなみんなに日常の幸福が訪れますように。。。

a prayer・・・







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2020年04月08日

コンサート『Salon de Musique vol.2 』チケット販売見合わせのお知らせ。



チケット販売見合わせのお知らせです。



2020年度県民協働企画事業
コンサート『Salon de Musique vol.2 -音楽とトークとスイーツと-』のチケット販売見合わせのお知らせです。

7月5日(日)、滋賀県立文化産業交流会館小劇場を会場に、14時開演(13時30分開場)を予定しておりました『Salon de Musique vol.2 -音楽とトークとスイーツと-』は、新型コロナウイルスの感染拡大が収束していないことから、当面の間チケット販売(4月11日〜)を見合わせることにいたしました。
チケット販売日および公演実施の有無(延期等を含む)については、順次お知らせさせていただきます。

私があたためてきたこの企画は、決してなくなりません。
お客様、仲間とスタッフがのびのびと音楽を楽しめる環境はきっと来ます。
その時まで、お楽しみは大事にとっておきましょう。

滋賀県でも感染者数が着実に増えている今、自分にとって、周りの人にとって「何をすることが大事か」を真剣に考える時だと考えます。

「焦り」「不安」「怒り」・・・
人間の弱さを見透かすように、コロナウィルスはこの3つを武器にして、平和な時代を生きてきた私達に対し、「自身と戦う強さ」がどれくらいあるかを試しているように思えてなりません。
そしてこの、「焦りウイルス」「不安ウイルス」「怒りウイルス」を発症させる原因となる、最も手に負えないウイルスが、「無神経ウイルス」です。
「無神経ウイルス」に効くワクチンは今の所ありません。
でも、「勇気」という免疫は、一人より二人、二人より三人と、地域・国レベルで強くなると思うのです。

勇気=正しい判断・行動力
そのことをいつも頭において考え、行動したいと思っています。

新型コロナウイルスの感染によって、知らず知らずに心を病んでいる人もいます。
私自身もそうかもしれません。
良い意味でも、悪い意味でも、心には目に見えるメモリがないのです。

新型コロナウイルス感染者に効くワクチンを待ちつつ、個々の「勇気免疫体」を増やしていきましょう。

そう・・・笑顔、えがお、EGAO。。。


《2018年 春》





  


2020年04月04日

-しあわせは どこにある?。。。


3月になって、
空を見上げる回数が増えた気がする。

目的無くドアを開けて外に出ることが、
とても懐かしいのだ。

娘たちが小さな頃は「目的なく外に出る」事が目的だった。
そんな時の風景や表情のほうが、
心に鮮明だから不思議だ。

「今」がいつまで続くのか、
ときを早送りしてみたくなるけれど、
瞬きする間に入れ替わる「現実」と「非現実」は、
誰に操ることもできない。

”-しあわせは どこにある?”

問いかける詩人の心に到達できるのは、
いったいいつのことだろう。。。






草に寝て

それは 花にへりどられた 高原の
林のなかの草地であった 小鳥らの
たのしい唄をくりかえす 美しい声が
まどろんだ耳のそばで きこえてゐた

私たちは 山のあちらに
青く 光ってゐる空を
淡く ながれてゆく雲を
ながめてゐた 言葉すくなく

-しあわせは どこにある?
山のあちらの あの青い空に そして
その下の ちひさな 見知らない村に

私たちの 心は あたたかだった
山は やさしく 陽にてらされてゐた

希望を夢を 小鳥と花と
私たちの友だちだった

六月の或る日曜日に
~立原道造~

  


Posted by 白谷仁子 at 22:53ふるさと私。。。立原道造