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Posted by 滋賀咲くブログ at

2022年09月30日

秋の空と私の心。。。


知らない間に秋になり
  空も庭の花たちも
    間近の冬を手招きしている




《水葵 花言葉「前途洋々」》




朝一番の空気の味が変わってくると
何かがわくわくこみ上げて来る

それが楽しみなのか
気ぜわしさなのか
自分でもよくわからないのだけれど

とにかく
元気が出てくるのだ

一日一日を大切に生きていても
365日を全て記憶することはできない

木々や花や
星や月に自分をリンクさせると
不思議なほど気持ちよく心が整う

遠い春や
過ぎた夏は
すべてこの秋のために存在したのだと





知らない間に秋になり
  空も庭の花たちも
    そして私も
      間近の冬を手招きしている









  


Posted by 白谷仁子 at 10:42お花私。。。

2022年09月15日

薔薇の花に心をこめて。。。




お花屋さんで見つけた薔薇は、
見たことのないサーモンピンクで、
多分、お店に入った時からそれ以外は見えていなかった。

ちっとも薔薇らしくないその子を、
たった1輪だけ買った私。

何年か経った今も、
ピアノの上の透明なフレームの中で咲き続けている。
大切な思い出の真ん中には、
いつも花があった。

自分で買ったはじめての薔薇は、
香りゆかしい音楽のような薔薇だった。。。





薔薇の花に心をこめて 
      詩 大木惇夫
      曲 山田耕筰

薔薇よ薔薇
薔薇の花ささげまつる
地の上に香りて浄く
いと美わしき花なれば
薔薇よ薔薇
大空の御光ありて
薔薇よ薔薇
薔薇の花ささげまつる。

  


Posted by 白谷仁子 at 21:19日本の歌お花私。。。うた

2022年08月16日

夏の終わりを告げる花。。。


 お父さん
 眩しいほどの白い花が見えますか?
 
 空に届きそうな白い輝きが
 お父さん
 空の上からみえますか?




《サルスベリ(百日紅)花言葉「あなたを信じます」》




6月、まだ朝晩の風がここちよく涼しい頃、父はお空へ旅立った。
病院の救急病棟で、眠っているようにしか見えない父と、頰をぴったりとくっつけて「ありがとう。」と1回だけ、心をこめて言った。
父の皮膚と私の皮膚が、同化した瞬間だった。

その日から54日、さまざまなシーンを印象付けるように花があった。
クチナシ、ハス、サルスベリ・・・

木々を愛し、庭を愛し、手を加え世話をする労を惜しまなかった父。
その心がようやく分かる歳に私もなった。

仕事人間だったはずの父だったが、思い出はあまりにも多すぎて、毎晩一つずつ思い返していては、とても私の人生が足りない。
父が愛してくれた数は、これからもずっと永遠に増え続ける。

夏の終わりを告げるように、サルスベリが最後の力をふりしぼってはなびらを広げる頃、風は少しづつ涼しさを増す。
8月の日差しは花の白をいっそう際立たせる。







 お父さん
 眩しいほどの白い花が見えますか?
 
 空に届きそうな白い輝きが
 お父さん
 空の上からみえますか?












  

     


Posted by 白谷仁子 at 20:26お花私。。。

2022年04月01日

我が子羽ぐくめ 天の鶴群。。。




  旅人の 宿りせむ野に霜降らば
       我が子羽ぐくめ 天の鶴群


《伊夫岐神社の大椿》




いつだったか、母が目を細めて言っていたことがある。

「いくつになっても我が子はかわいい。その気持ちはちっとも変わらない。自分よりもうんと大きくなって、ずっとしっかりしていても、それでもかわいい。。。」

あの時の母の言葉に託された色とりどりの寂しさは、いま私の心の中であまりにも鮮明だ。







我が子とずっと共にいられることは、決して当たり前ではないのだと知った瞬間があった。
自分の大切なもの全てと引き換えに、我が子の命を願い祈った40日があった。


   旅人の 宿りせむ野に霜降らば
          我が子羽ぐくめ 天の鶴群

椿の実がはじけるように。
母の祈りは遠く、母の祈りは強く、母の祈りは終わりがない。

ただ幸あれと、ただ幸あれと。。。





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Posted by 白谷仁子 at 20:34お花私。。。うた

2022年01月09日

心如淵泉、2022年を迎えて。。。


『心如淵泉』
ー 心深い泉の如く深く落ち着いている ー

22年、新年を迎え、ありがたき書の文字に出会った。





ひこね文化デザインフォーラム主催の「文化サロン〜四方山談義」は今日が第1回目。
書家の松宮忠夫先生のテーマ「文字(言葉)を書くことで自分を掘る」は、「私の昨年の言葉」を深く考えるきっかけとなった。

言葉は心とリンクしている。
この歳になると、いやでもそれが見えてしまう。

リズムよく綺麗な言葉を並べると、耳には心地よいが心に入ってこない。
誠実でいようとすると、時に誤解を招く。
言葉はいつも重要なキーワードとなる。

人と繋がることは面倒で、だけれど、それ以上にあたたでありがたい。
私は人が好きだ。
言葉が好きだ。
だから、歌が好きなのだとおもう。





大好きな着物を、しばらく着なかった。
大好きな歌も、昨年は十分の一も歌わなかった。

家に帰って、深呼吸して書いて見た。
『心如淵泉』。

世の中が色を変えても、変わらない自分でいるために。
新しい年をスタートさせよう。。。








  


2021年09月16日

命といふもの〜堀文子 画文集。。。


堀文子さんの追悼展『スケッチと本画でたどる人と芸術』第2期が8月21日から9月20日まで、名都美術館で開催されている。
私が堀文子さんの絵をはじめて目にしたのは、ちょうど大学受験の頃、料理好きの母が持っていたNHK料理番組のテキスト『きょうの料理』の表紙絵だった。
母は「書き込む人」だったので、アヤメの絵の表紙や、気になるページには何やら食材や栄養素の書き込みがあり、新聞の切り取りなども何枚かはさまれていた。
今思うと、サイドボードの上のそのテキストは、料理の本というよりは、母の忘備録帳だったのだ。
40年近くたった今、私はその絵を描いた人が堀文子さんだったと知った。

追悼展に行けなかったが、私の手元には画文集「命といふもの 第2集」が届いた。







花木と共に・・・と記された、ヤマブキ・筍・蓮根の優しい表紙をめくると、私が愛するとり「ジョウビタキ」の絵と、ジョウビタキを神の使いと表現した堀綾子さんの文が心に刺さった。
「花を愛でる人は鳥も愛でる。」
そんな自分の勝手な思い込みが真正面から肯定されたような気がして、1行ずつ、子供のように指で文字をたどりながら、何度もなんどもジョウビタキの項を読んだ。






一気に読んでしまうのは、もったいない画文集。
私は1日に1項ずつ楽しむことにした。

ボロボロのアヤメのテキストを、私がお嫁に行くまでずっと持っていた母に、この画文集を見せてあげたいと、ふと思った。
母の「ちぎり絵」に、よく似た作品があったのを思い出した。

母はきっと、あのテキストのアヤメが大好きだったのだろう。。。








  


Posted by 白谷仁子 at 21:28お花私。。。鳥さん芸術

2021年08月15日

れんげ畑と、幼い私と、歌と。。。



れんげ草」という詩に出会って   白谷仁子

 私が生まれ育った滋賀県長浜市は、山、川、そして湖の恵みを受ける自然豊かな街です。
小学1年生から大学を卒業するまで、私は琵琶湖の畔でのびのびと暮らしました。
家から歩いて数分のところには、新興住宅地のために整備された埋立地が広がっており、桜の時期が終わると、そこは目を見張る一面のれんげ畑が広がりました。
小学校から帰ると一目散にそこへ向かい、雨の日も晴れの日も、れんげの花に囲まれて無心に遊びました。
琵琶湖の水面にお日様が沈む頃、エプロン姿の母が迎えに来てくれて、暗くなるまで冠や首飾り、指輪をいっしょに作りました。
「れんげ姫さん、そろそろ帰ろっか。」
母の言葉は「おしまい」の合図。
夕日を背に、母と私は大きな声で歌をうたいながら家へと帰って行きました。
 今、たくさんの家が立ち並ぶその場所は、母と私の「れんげ畑」の思い出の場所です。
藤岡きみこさんの詩「れんげ草」と出会い、母との絆や、幼い頃の思い出に再び触れることができました。
 今は施設でお世話になっている母にも、この歌を届けたいと思っています。

〜全日本児童音楽協会『新しい子どもの歌 2021』ハンナ出版より〜






『童謡』『童謡歌手』
今や,ひと昔前の言葉のように感じる言葉。
物心ついてからというもの、母の歌う童謡や叙情歌を聴きながら育った私は、日々の時間が歌と共にゆっくりとながれていました。

子どもの歌を、子どもが、子どもらしく歌う。
大人は子どもの感性や情緒、優しさを育てるために詩を書き、作曲家は同じ気持ちでメロディーをつけました。
童謡運動の幕開けから100年以上が経った今、消してはいけない日本の音楽分野があることを、私たちはわすれてはいけません。

藤岡きみこさんの詩『れんげ草』を読んだ時、驚きと懐かしさで、ほとんど瞬間的にメロディーが心に浮かびました。
まさに、私の大切にしている母との思い出そのものだったから。

全日本児童音楽協会が開催した第66回『新しい子どもの歌コンサート』は8月5日に開催され、私の作曲した『れんげ草』(作詞:藤岡きみこ 作曲:白谷仁子)は小学校4年生の馬場眞実さんの独唱で発表されました。
その1週間後、『れんげ草』を気に入ってくれた眞実さんは、12日・13日と開催された『あおいコンクール』でも歌ってくださり、見事1位に輝きました。





童心に帰る・・・
それは、何気ない瞬間にふと心に降ってくる小さな光の粒のように・・・
童謡は心のふるさと。
忘れていた何かを思い出させてくれます。





小学校入学と同時に、私は大好きだった長浜市のまちなかから、琵琶湖のほとり移り住んだ。父が家族の為に設計し、建ててくれたその家の周りには、それまで暮らしたまちなかには無い風景があふれていた。まだ数件しか建っていない団地のあちこちにある桑畑。埋立地一面に広がるレンゲ畑。家から僅か数分歩くと、そこには広大な琵琶湖が両手をひろげていた。当時、好奇心旺盛だった私にとってそれは、まさに『自然の楽園』だった。
2014年 滋賀県建築設計家協会 鳰の巣vol.40『淡海に寄せる歌〜白谷仁子』から






  


Posted by 白谷仁子 at 11:43ふるさとお花

2021年05月27日

天上の薔薇。。。オルフェオのアリア



白いバラからは太陽をイメージする。
重なる花びらをじっと見ていると、包み込まれるような気持ちになる。

どんなに小さなバラであっても、その白さと高貴さには一瞬にして心を奪われる。





C.モンテヴェルディのオペラ「オルフェオ」で最初にオルフェオがうたう『Rosa del cie(天上の薔薇)』は、太陽をバラと歌い、愛しいエウリディーチェへの愛を甘く歌う。

ギリシア神話の物語にも、太陽への賛美として例えられるほどの花は、いま、こんなに身近なところで雨にうたれている。
挿し木から間も無く、可憐で小さな蕾をつけ、まっすぐ天を仰いでいる。

”自分を信じる”ことは易しくない。
不安でなければ嘘だとおもう。

ギリシア神話のオルフェオは一瞬の迷いから、愛するものを永遠に失ってしまった。





厚い雨雲の上には、真っ白いバラのような太陽が咲いていて、雨が止むのを待っている。
だから、今はただ自分を信じていようと思う。

音楽と一緒に、この小さなバラと一緒に、待っていようと思う。。。




  


Posted by 白谷仁子 at 21:20お花私。。。世界の歌園芸

2021年04月29日

初夏を招く花、白山吹。。。


5月が近づくと、もうすっかり桜のことを忘れてしまうほど、初夏のお花たちが恋しくなる。

夏椿、梅花空木、野薔薇・・・
お庭はもうすぐ白い可憐な花たちで彩られる。

季節と花の色は、まるでリンクしているように心に語りかけて来る。
洗ったばかりの真っ白なシャツのように、眩しい白さを咲かせる初夏の樹木は、お庭に必須だ。

白山吹という木がある。
花の後には不思議な4つの黒い実をつける。
私の住む伊吹山の麓では、この時期、黄金色の花を咲かせている山吹をよく見かけるが、白山吹はあまり見かけない。


《白山吹 花言葉「気品」「細心の注意」》



初夏の花のカタログを、白い小花でもっともっといっぱいにしたい。。。


  


Posted by 白谷仁子 at 21:36お花私。。。園芸

2021年04月28日

誰がためにその花は咲く。。。


ある瞬間から
すずらんが好きになった
庭の枝垂れ桃の根元に3株ほど植えた時のことを
もうずっとずっと昔のように感じる


《すずらん 花言葉「謙遜」「再び幸せが訪れる」》



すずらんに似合う小さなガラスの花瓶が欲しい・・・
花が咲くごとにおもうが
まだ出会っていない

すずらんに似合う花瓶ってどんなだろう・・・
すずらんのような人ってどんなひとだろう・・・

みんなすずらんを「可愛い」というが
好きな花は?と聞かれて「すずらん」とは答えない
それがこの子たちの魅力なのだろうか
再び来る幸せを祈るように咲くその姿が。。。


  


Posted by 白谷仁子 at 13:42お花私。。。園芸