
2021年01月04日
地球が春を待っている。。。
誰にも話さないから教えて
私たち人間が知らないこと・・・
あとどれくらいあるの?
《アメリカフウ 花言葉「輝く心」》

時々、思うことがある。
私達が知らないだけで、木々はことばをもっているのではないか・・・と。
こどものころの「ふしぎ」は、おとなになると「ありえないこと」へとかわる。
それでも、ふとした瞬間に心はこどもに帰ることがある。
見えなかったことが、ある日見えるようになったりする。
今がちょうど、その時ではないかと思う。

最後の一葉が雪の空に舞ったら、春が一歩近づいてくる。
人が、地球が春を待っている。
輝く心で待っている。。。
2020年11月21日
月のみぞ知る・・・
”あなたは太陽みたい”
”あなたは月のよう”
さて、どちらを言われた方が幸せを感じますか?

2020.11.21 月齢6 18:52 studio ecole
子供の頃は、月がこんなにも綺麗だなんて思わなかった。
月も星も、「お空」という遠い遠い手の届かない世界の特別なものだった。
月に住むのは宇宙人かウサギか、子供の頃の可愛らしくも真剣な議論は、今も心から消えることはない。

世界中の詩人たちが愛し、百人一首の11もの歌に登場する”月”は、昔も今も、人間にとっては特別な存在だ。
あんなに遠いのに、数え切れない人間の心とリンクしている。
先の見えない毎日も、約束のない未来も、月だけは何もかもわかっていて、高いところから自分を見ているような気がするのだ。

今年の月は、どんな時も繊細で、ものすごく鮮明だった。
”あなたは太陽みたい”
”あなたは月のよう”
私は・・・
2020年06月18日
ホルストの「惑星」と紫陽花「銀河」。。。
「透明な水と、茶色の土から、なんで青い花が咲くん?お父さん・・・」
《島根県オリジナルの紫陽花「銀河」》

今年度の高等学校選択授業の音楽は、例年通り・・・というわけにはいかないので、鑑賞に時間をかけることができる。
ホルストの管弦楽組曲「惑星」は、ロマン派の鑑賞課題が終わる2学期、余裕のあれば「木星」を聴く程度だった。
『コロナ世代』などという言葉を目にしたり聞いたりするたびに、生徒たちには「負けないで!」とエールを送りたくなる。
「火星」Mars ~戦争の神
「金星」Venus ~平和の神
「水星」Mercury ~翼のある使いの神
「木星」Jupiter ~快楽の神
「土星」Saturn ~老年の神
「天王星」Uranus ~魔術の神
「海王星」Neptune ~神秘の神
7つの曲を聴き終えて、心の中の世界観が昨日より少しでも大きくなってくれただろうか。。

帰りにお花屋さんによって、「銀河」という名前の紫陽花を父のために買った。
90年近く生きて来た父には、世界はどのように見えているのだろう。
小さい頃、父に言われてよく庭の草むしりをした。
大きな背中は、どんなものからも守ってくれるという安心の象徴だった。
難しい漢字、算数、歴史、聞いたらなんでも教えてくれる父だったが、この質問にはいつも、目を細めて「さぁ、わからん。」と笑っていた。
だから私は、父の笑った顔が見たくなるといつも聞いた。
「透明な水と、茶色の土から、なんで青い花が咲くん?お父さん・・・」と。。。
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2019年02月17日
生更木(きさらぎ)の朝に。。。
この冬は暖かくて、微かな初春の気配を感じそびれてしまった。
お庭の水仙も、湖岸に咲く菜の花も、当然のような顔をして春の景色を演出している。
時々チラつく雪も居心地わるそうに、地面に落ちるとすぐ消えてしまう。
毎年この季節になると、コーラスユウスゲでは「春は名のみの・・・」と声を合わせ中田章の名曲「早春譜」を歌うが、今年はすっかり時期を逃してしまった。
「如月」、「衣更着」、「気更来」・・・
2月は色んな文字が当てられるけれど、
今年は「生更木」という文字がぴったりな気がする。。。
2018年06月02日
明日葉のガラス玉。。
早起きをして、お洗濯物を干していたら、
お庭の山野草コーナーに植えた明日葉に呼ばれた気がした。。

ギザギザの葉っぱを、まるで小さなガラス玉がふちどっているようだった。
家の中にカメラを取りに戻っているうちに、強い風でも吹いて、ガラス玉がみんな落ちてしまうのではないかと、私は真剣にドキドキした。

こんなに綺麗不思議な光景に、人は生きているうち何度出会えるのだろう。
それは、一瞬にして心を捕まえられる音楽や「音」に出会った時に等しい感動だ。

お洗濯を干し終えたら、私は朝摘みの明日葉を収穫する予定だったが、とりあえず今日は、やめにした。
私のお腹は、小さな透明のガラス玉でいっぱいになってしまったから。。。
2017年10月23日
絵本「大きなクスノキ」。。。
久しぶりに、絵本を買った。
娘たちが小さい頃は、母がよく絵本をプレゼントしてくれた。
お誕生日、クリスマス、お正月、こどもの日・・・
中には2冊、同じ本もあったりする。
「良いと思う本って、結局いつも同じなのよ。」と母は笑っていた。
たくさんの絵本は、今、教室に来る生徒さんの為に数冊だけ出してある。
子供たちも、手にする本はいつも決まっているからだ。
娘たちもそうだった。
1才になったばかりの頃、毎日毎日同じ本を声をだしてよんでいた。。。といっても字は読めないので、毎晩読み聞かせをしていた私の口調を真似て、一心になにやらお話をしていた。
その姿がかわいくて、毎晩の読み聞かせは私の楽しみの一つでもあった。
大きなクスノキ みそのたかし・作 さとうそのこ・絵 (高陵社書店)

そんな昔を思い出したように買ったのは「大きなクスノキ」という本。
主人公「ウタちゃん」の名前も気に入ったが、一本の大きなクスノキを守りたいという純粋な気持ちが、なんだかとても嬉しかったのだ。
たった一本の木のまわりで、たくさんの命が宿り、何より私たち人間の世界を守っているのだということが素直に表現されていて、いつのまにか読者は皆、「ウタちゃん」になっていく。

Ehon Navi から
この本にこれほど惹かれたのは、以前、良く似た話を聞いたからだと思う。
新しく何かをはじめるときには、捨てなくてはならないものがきっと出てくる。
それを皆、心のどこかで「仕方のないこと・・・」と思い込んでいるが、誰かが大切なものを周りに思い出させる勇気を出せば、それは大きな力になるのだということを、私はその話から学んだ。

私は、絵本の表紙のウタちゃんのように、木を見るとその幹に必ず手のひらを合わせる。
小学生の頃の私は、きっとウタちゃんになりたいと強くおもっただろう。
そんなことを思いながら、今も2冊の絵本「大きなクスノキ」をながめている。。。
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2016年10月10日
秋のキチョウへ〜帰っておいで。。。
キチョウの色はレモン色。
秋のキチョウはミモザにとまる。

秋のキチョウはがんばり屋さん。
儚げな薄い翅で冬を越したご褒美は、ふわふわの黄色いミモザの花。
もしかして、お気に入りの枝に名前を書きにきたの?
それとも春咲くミモザの花の蜜を、今から楽しみに待っているの?
どんなに近づいても、秋のキチョウは飛ぼうとしない。
左手を差し伸べると、人なつっこく飛んできて、いつまでもいつまでもとまっている。
しばらくそのままじっとしていると、次第に左手は軽くなり、キチョウの儚げな薄い翅は、私の左手の翅となる・・・そして、私の心の翅となる。
やがて別の2頭のキチョウが舞うように、またミモザの枝にやって来ると、私の心の黄色い翅は、誘われるように飛び立つ。
冬を越えて、ここにまた帰っておいで。。。
小さな小さな白い命が、黄色く変わって育つまで、私のお庭は、あなた達をきっと守ってくれるから。
秋のキチョウはミモザにとまる。

秋のキチョウはがんばり屋さん。
儚げな薄い翅で冬を越したご褒美は、ふわふわの黄色いミモザの花。
もしかして、お気に入りの枝に名前を書きにきたの?
それとも春咲くミモザの花の蜜を、今から楽しみに待っているの?
どんなに近づいても、秋のキチョウは飛ぼうとしない。
左手を差し伸べると、人なつっこく飛んできて、いつまでもいつまでもとまっている。
しばらくそのままじっとしていると、次第に左手は軽くなり、キチョウの儚げな薄い翅は、私の左手の翅となる・・・そして、私の心の翅となる。
やがて別の2頭のキチョウが舞うように、またミモザの枝にやって来ると、私の心の黄色い翅は、誘われるように飛び立つ。
冬を越えて、ここにまた帰っておいで。。。
小さな小さな白い命が、黄色く変わって育つまで、私のお庭は、あなた達をきっと守ってくれるから。
2016年10月07日
連鎖のなかで。。。
植物をクローズアップして見ると、まるで私たち人間にように、感情を持っているように思えてならない。
与えられた生命を精一杯に謳歌して生きているという点は、動物も植物も、きっと一緒だ。。。
《ホットリップス 花言葉「燃ゆるおもい」》

私達がいま地球上にいるということは、親、親の親、そのまた親・・・・、祖先、祖先の祖先、原人類、類人猿、ほ乳類(鳥)、魚・・・プランクトンまで、全部DNAがつながっているということ。
そのDNAが、子供、孫、ひ孫・・・と受け継がれて行く限り、命の連鎖は消滅することはない。
私達人間は「生きる」ことで、命がつながれていく仕組みと人生への感謝を、高い高い空の彼方に捧げているのかもしれない。
数十億年のDNAの連鎖のなかで出逢えた奇跡に、感謝を込めて。。。

夏、赤い花を一途につけたホットリップスは、秋の風を受け止めて、やがて、白い花へと変わっていく。。。
2016年01月24日
しめやかに。。。
この冬一番の寒さ・・・
朝6時。
心して開けた勝手口。
目の前に雪はなく、吹き込む風は冷たくて
あわててドアを閉めた。
「しめやかに降る雪というのは
どんな雪だろう。。。」
そんな事をふと思った。
子供の頃から、色んな雪に出会って来た。
雪だるまを作る私の睫毛に、まっては瞬間に溶けていった雪、
小学校の帰り道、頬に突き刺さった針のような雪、
その感覚は、ちゃんと体が覚えている。
しめやかに降る雪。。
それは空からではなく、心に降る雪?・・・

生い立ちの歌
(第一連)
幼 年 時
私の上に降る雪は
真綿のようでありました
少 年 時
私の上に降る雪は
霙のようでありました
十七〜十九
私の上に降る雪は
霰のように散りました
二十〜二十二
私の上に降る雪は
雹であるかと思われた
二十三
私の上に降る雪は
ひどい吹雪とみえました
二十四
私の上に降る雪は
いとしめやかになりました……
〜中原中也 『山羊の歌』から〜
「中原中也 詩集」河上徹太郎編 角川文庫
2015年11月16日
秋虹。。。
つめたい雨が忘れていった
わたあめのような秋の虹
もう少し
もう少しだけそこにいて
みせたい人がいるのです

すぐに消えてしまう秋虹を
ずっとみていたことがある
眼をそらした瞬間に消えてしまいそうで
瞬きもせずにみていた
もう少し
もう少しだけそこにいて
みせたい人がいるのです
薄れていく光の線をながめながら
小さかった私は一心に
空にお願いをしていた。。。