
2017年04月28日
畑の中の梨の木よ。。。
誰が植えたか知らないけれど
畑の中の梨の木よ
わたしがここで話したことを
どうかどうか
ずっとおぼえていておくれ。。。
声楽家 白谷仁子のブログ「音・人・里」をつなぐ『湖音』
〜2016年10月18日
《梨 花言葉「愛情」》

つるに覆われ、
草たちで根元の見えなくなった畑の中の梨の木を、
Gardenの主役にしようと決めたのは、
昨年の夏が過ぎた頃だった。。
目を向けるのをためらうほどに、
そこだけ時間が止まったように見えていた。
去年の10月、
一本の小枝の先に可愛い花をつけていた。
梨の木が秋に花を付けていることを当たり前のように、
私はその光景をずっとながめていた。

その時植えた宿根草のお花達、
梨の木の根元で眠っていた紫陽花も、
そして雪柳も水仙も、
今年植えたお花達と一緒に、
今は仲良く琵琶湖からの風をうけている。

畑の中の小さなGarden。
新しいお花が増える度に、
一番のっぽの梨の木は、
嬉しそうにお花の数を増やすだろう。
白いお花を増やすだろう。。。

誰が植えたか知らないけれど
畑の中の梨の木よ
わたしがここで話したことを
どうかどうか
ずっとおぼえていておくれ。。。
2016年10月18日 声楽家 白谷仁子のブログ「音・人・里」〜愛情の花。。。
http://otohitosato.shiga-saku.net/e1298160.html

2017年04月26日
ずっとずっとみている。。。
出逢えて良かった・・・
そう思える風景は、
写真に残してなんどでも、
そう、何度でも見たくなる。。。

昨日は晴れのち曇りだったから、
背筋をピント伸ばしたあなた達が、
とても輝いてみえた。

今日は一日雨だったから、
もしかしたら、
あの細い茎は折れて、
倒れているかもしれない。
そうだ。。
あの小さな風景はきっと、
次に訪れた時には姿を変えているだろう。

時間は流れている。
命も流れている。
それは仕方のないこと。
それは当たり前のこと。
だけど無性に、
「あの時のあの風景にもう一度会いたい。。」
そう思う時がある。
そんな時、
私はずっと写真をみている。
眠ることも忘れて、
ずっとずっとみている。

真っ直ぐで小さな、
あの時のマツバウンランのひと花ひと花を、
ずっとずっとみている。
ずっと。。。
そう思える風景は、
写真に残してなんどでも、
そう、何度でも見たくなる。。。

昨日は晴れのち曇りだったから、
背筋をピント伸ばしたあなた達が、
とても輝いてみえた。

今日は一日雨だったから、
もしかしたら、
あの細い茎は折れて、
倒れているかもしれない。
そうだ。。
あの小さな風景はきっと、
次に訪れた時には姿を変えているだろう。

時間は流れている。
命も流れている。
それは仕方のないこと。
それは当たり前のこと。
だけど無性に、
「あの時のあの風景にもう一度会いたい。。」
そう思う時がある。
そんな時、
私はずっと写真をみている。
眠ることも忘れて、
ずっとずっとみている。

真っ直ぐで小さな、
あの時のマツバウンランのひと花ひと花を、
ずっとずっとみている。
ずっと。。。
2017年04月21日
知る人無くも 清み香る蜜 〜ムスカリに寄せて
ムスカリの 葡萄の房の その中に
知る人無くも 清み香る蜜
《ムスカリ 花言葉「通じ合う心」「失望」》

体の疲れには休息が一番だ。
わかっていても立ち止まれないのは、
体を動かし続けているからこそ得られる、
小さな安らぎがあることを知っているからだ。

新一年生の高校の授業がおわった後、
「ゴミ箱はどこですか?」
そう訪ねてきた男子生徒。
器のように丸めた手のひらには消ゴムのクズが。
次のクラスにも同じように手をまるめた女子生徒。
「ゴミ箱ないんですか?」
そう尋ねられ、音楽室の隅っこで積まれた椅子に隠れているゴミ箱を指さした。
「えらいねぇ。。」
そう声をかけたら、身体がシュンと軽くなった。
心は体に元気をくれるようだ。

家に帰り、お庭のムスカリの花ひとつぶを、
そっとひろげてみた。
ムスカリは、小さな小さな花冠の中に、
ほんのりと、甘い蜜をかくしていた。。。
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2017年04月19日
雨の日はガラス越しに〜HAKO TE AKO から
雨の日はガラス越しに
何を思うでもなく時と向き合う
一分間が90秒になるその時を
知っている人はけっこうたくさんいる
《近江八幡「HAKO TE AKO」》

カウンターの隣には
気の知れた人なら言うことないが
知らない人もわりといい
見ず知らずのひとと肩を並べ
ときおりコーヒーカップの「カチッ」なんて音だけを共有し
それぞれがそれぞれの時を過ごすのもわるくない
だけど・・・

過剰なものが一つでもあると
90秒は60秒になってしまう
「守りたいもの」を語るときに
たくさんの言葉がいらないのと同じこと

ガラス越しに
雨の風景を見つめる安堵に満ちた横顔が
私の90秒を
その時 永遠にした・・・
滋賀県近江八幡市円山町610
近江八幡ユースホステル内
HAKO TE AKO
http://www.hakoteako.com/
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2017年04月14日
ライラックの枝をくぐり。。。
ライラックの枝をくぐり、
早くそちらに行こうとしたが、
かかとの細いサンダルが、
草の根っこに引っ張られ、
追いつこうにも追いつけない。
そんな夢だか現実か、
わからないような午後のひとときを思い出させてくれる
ライラックの花の香りよ。。。
《ライラック 花言葉「友情」「恋の芽生え」》

昭和14年3月、立原道造氏のお見舞いに来た、プロレタリア作家の若林つやさんと、評論家でドイツ文学者の芳賀檀さんは、ライラックと赤いバラの鉢植えを持ってきたという。
「届けてほしいものは?」と聞かれ立原氏は、一度ずつでおしまいになる小さな罐詰と、そして「五月のそよ風をゼリーにして持って來て下さい」と答えたという。
甘いだけでなく清涼感のあるライラックの花の香りは、甘さを控えた爽やかなゼリーの味を思わせる。

うたふやうにゆつくりと‥‥
日なたに いつものやうに しづかな影が
こまかい模様を編んでゐた 淡く しかしはつきりと
花びらと 枝と 梢と――何もかも……
すべては そして かなしげに うつら うつらしてゐた
私は待ちうけてゐた 一心に 私は
見つめてゐた 山の向うの また
山の向うの空をみたしてゐるきらきらする青を
流されて行く浮雲を 煙を……
古い小川はまたうたつてゐた 小鳥も
たのしくさへづつてゐた きく人もゐないのに
風と風とはささやきかはしてゐた かすかな言葉を
ああ 不思議な四月よ! 私は 心もはりさけるほど
待ちうけてゐた 私の日々を優しくする人を
私は 見つめてゐた……風と 影とを……
立原道造「優しき歌 I」から
それぞれの花に、それぞれの思い出がある。
ふと眼にした影の形、
風が送ったほのかな匂い、
他愛もなくかけ合った言葉・・・
私はそれらを一生忘れることはないだろう。
ライラックの枝をくぐった時の喜びを。。。
早くそちらに行こうとしたが、
かかとの細いサンダルが、
草の根っこに引っ張られ、
追いつこうにも追いつけない。
そんな夢だか現実か、
わからないような午後のひとときを思い出させてくれる
ライラックの花の香りよ。。。
《ライラック 花言葉「友情」「恋の芽生え」》

昭和14年3月、立原道造氏のお見舞いに来た、プロレタリア作家の若林つやさんと、評論家でドイツ文学者の芳賀檀さんは、ライラックと赤いバラの鉢植えを持ってきたという。
「届けてほしいものは?」と聞かれ立原氏は、一度ずつでおしまいになる小さな罐詰と、そして「五月のそよ風をゼリーにして持って來て下さい」と答えたという。
甘いだけでなく清涼感のあるライラックの花の香りは、甘さを控えた爽やかなゼリーの味を思わせる。

うたふやうにゆつくりと‥‥
日なたに いつものやうに しづかな影が
こまかい模様を編んでゐた 淡く しかしはつきりと
花びらと 枝と 梢と――何もかも……
すべては そして かなしげに うつら うつらしてゐた
私は待ちうけてゐた 一心に 私は
見つめてゐた 山の向うの また
山の向うの空をみたしてゐるきらきらする青を
流されて行く浮雲を 煙を……
古い小川はまたうたつてゐた 小鳥も
たのしくさへづつてゐた きく人もゐないのに
風と風とはささやきかはしてゐた かすかな言葉を
ああ 不思議な四月よ! 私は 心もはりさけるほど
待ちうけてゐた 私の日々を優しくする人を
私は 見つめてゐた……風と 影とを……
立原道造「優しき歌 I」から
それぞれの花に、それぞれの思い出がある。
ふと眼にした影の形、
風が送ったほのかな匂い、
他愛もなくかけ合った言葉・・・
私はそれらを一生忘れることはないだろう。
ライラックの枝をくぐった時の喜びを。。。
2017年04月13日
行く末は誰が肌ふれむ紅の花。。。
「行く末は誰が肌ふれむ紅の花」(松尾芭蕉)
若き指先は、何を思い、何に憧れ、ただひたすらに紅の花を摘んだのだろう。。
《 CLARINS コンフォートリップオイル #02》

初めてお化粧をした時の違和感は、今でも鮮明におぼえている。
高校を卒業してすぐ、私は友達と化粧品メーカーの講習会に出かけた。
出来上がった自分の顔は、とてつもなく居心地が悪く、家に戻るや否や、ごしごしと濡れタオルで化粧を拭き取った。
そんな自分が今では懐かしくて仕方がない。。
四月。。
慣れない手つきでルージュをひいた女の子達も、じきに化粧をすることも、化粧をした自分の顔にも慣れてしまうだろう。
「行く末は誰が肌ふれむ紅の花」
当時お金になった山形の紅花を、一心に摘んで働いた農家の娘達は、都で見るような華やかな着物を身につけることも、紅をさすことも無かっただろう。
自分達が荒れた指先で摘んだ紅花が、美しい染料や化粧の材料になることを、娘たちは知っていたのだろうか。。。
芭蕉の見た、美しく儚げな光景が浮かんでくる。
自分に似合う化粧を知っている人は、本当に綺麗だ。
それは自分を大事にすることにも繋がっているように思う。
今、私のまわりには、そんな人がいっぱいいる。
先日、少し遅れて、下の娘が誕生日プレゼントをくれた。
それはほとんど色の付かない、とても居心地の良いリップオイルだった。
2017年04月10日
野菜の花。。。
穫りたて野菜の美味しさは言うまでも無い。
でも、
お野菜の花の美しさを知っている人は、どれくらいいるだろう。。。
《一寸空豆 花言葉「尊敬」》

収穫前に見せてくれる可憐な姿、
収穫を過ぎた後の華やかな姿、
それは土を愛し、小さな命を愛で育てる人だけが出会う事が出来る、
奇蹟の恋人だと言っても過言ではないと、私は思う。。
ちょうど今、世間の人々が桜の花に心奪われている頃、畑のあちこちには、黄色い菜の花が優雅に春風に揺られている。
カブ、白菜、日野菜・・・アブラナ科のお野菜の花は、見て楽しみ、食べて楽しみ、そして頑張ったご褒美に小さな種を残してくれる。
美しいのは菜の花だけではない。
寒い季節をじっと絶え、今ようやく丸くて白っぽい葉をフサフサと茂らせている・・・

その中に、なんとも魅力的な花を付けている、一寸空豆。
けして目立たず、花は恥ずかしそうにうつむき加減。

やがてその花が枯れ、中から緑色のサヤが現れる頃、あたりは新緑の匂いでいっぱいになる。
柔らかなサヤは、もううつむくことはしない。

高い空に焦がれるように一寸空豆は、
薫風に揺さぶられながら、ひたすら空に向かって伸びてゆくのだ。。。
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でも、
お野菜の花の美しさを知っている人は、どれくらいいるだろう。。。
《一寸空豆 花言葉「尊敬」》

収穫前に見せてくれる可憐な姿、
収穫を過ぎた後の華やかな姿、
それは土を愛し、小さな命を愛で育てる人だけが出会う事が出来る、
奇蹟の恋人だと言っても過言ではないと、私は思う。。
ちょうど今、世間の人々が桜の花に心奪われている頃、畑のあちこちには、黄色い菜の花が優雅に春風に揺られている。
カブ、白菜、日野菜・・・アブラナ科のお野菜の花は、見て楽しみ、食べて楽しみ、そして頑張ったご褒美に小さな種を残してくれる。
美しいのは菜の花だけではない。
寒い季節をじっと絶え、今ようやく丸くて白っぽい葉をフサフサと茂らせている・・・

その中に、なんとも魅力的な花を付けている、一寸空豆。
けして目立たず、花は恥ずかしそうにうつむき加減。

やがてその花が枯れ、中から緑色のサヤが現れる頃、あたりは新緑の匂いでいっぱいになる。
柔らかなサヤは、もううつむくことはしない。

高い空に焦がれるように一寸空豆は、
薫風に揺さぶられながら、ひたすら空に向かって伸びてゆくのだ。。。
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2017年04月08日
地域包括ケアセンターいぶきで『ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン』。。。
雨だ・・・
やっぱり選んで良かった。
♬ ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン ♬
昨日の朝は、雨の音で目が覚めた。
久しぶりに、童謡・唱歌が頭の中を占領している・・・
耳元でピチョピチョと鳴る音が心地良いのは、耳に残るユウスゲさんの優しい歌声が雨音と一緒になって、小川を流れる水のように私の心を流れていたからだ。
《桜の開花はもうすぐ!!!》

昨日は、コーラス ユウスゲのメンバー15名が、《地域包括ケアセンターいぶき》のみなさんと共に、童謡や唱歌など9曲を歌った。
ケアセンターでユウスゲさんが歌うのは3度目。
今までたくさんのステージを共にし、たくさんの歌を歌ってきた。
病気をしても、怪我をして長いこと休んでいても、帰る場所があることがどれほど大切か、ユウスゲのみなさんは知っている。
《コーラス ユウスゲ、伴奏:近藤しほり》

足が痛いときは自然と誰かが手をひいてくれる。
手が痛いときは隣の人が楽譜を出してくれる、カバンを持ってくれる。
家族でもないのに、いつも真剣に心配し合っている。
そして私も、ユウスゲという家族に育てられている。

プログラムの最後は、みんな一緒に「幸せなら手をたたこう」。
4番で、私はセンターの3人と手をつないだ。
幸せなら手をつなごう
タンバリンを握った左手を止め、右手でしっかりと私と手をつないでくれた男性。
幸せなら手をつなごう
一番前の真ん中で、終始笑顔で歌を口ずさんでいた小さな可愛い女性。
幸せならたいどでしめそうよ ほらみんなで手をつなごう
ハンドベルが上手な女性の、まるで少女のような笑顔。
誰もがみんな子供だった。
歌を聴いてくれたケアセンターの人達も、ユウスゲのメンバーも、私も。
そしていつか、私も誰かに手をつないでもらう日が来るのだ。。。。
あめふり
作詞:北原白秋 作曲:中山晋平
あめあめ ふれふれ かあさんが
じゃのめで おむかい うれしいな
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン
かけましょ かばんを かあさんの
あとから ゆこゆこ かねがなる
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン
あらあら あのこは ずぶぬれだ
やなぎの ねかたで ないている
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン
かあさん ぼくのを かしましょか
きみきみ このかさ さしたまえ
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン
ぼくなら いいんだ かあさんの
おおきな じゃのめに はいってく
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン
雨の日のコンサートはいっぱいの笑顔で終わった。
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2017年04月06日
取り皿、鳥皿、彩り皿。。。
食卓には4人分、鉢物・焼き物・汁物・ご飯。
それぞれに綺麗に取り分けられた食べ物は、学校から疲れて帰る私の一番の楽しみだった。
毎食後の洗い物の量は、お台所の流しにいっぱいだったが、それをお手伝いするのもまた、私の楽しみの一つだった。
《nekotoriの食器》

母が好んで揃えていた信楽焼の食器は重く、子ども心に私はいつも思っていた。
「お母さんって大変だなあ。。」と。

今我が家は取り皿が主流で、大きな鉢盛りのおかずを銘々皿にとっていただいている。
一人分ずつ、趣味の良い器に綺麗に盛りつけられた食卓は、家族の話に耳を傾けながら、それはそれは落ち着いて食することが出来るが、自分の食べたいものをそれぞれが大皿から取って食するのも、それはそれでおもしろいものだ。
《インコ》

・・・菜箸を付けるべきか否か・・・。
《モズ》

・・・誰から先にとるか・・・。
《ツバメ》

・・・どの辺りから箸をつけるか・・・。
《オウム》

・・・最後の一つは遠慮すべきか否か・・・。
《コノハ》

私はこの可愛いお皿たちを、まずレッスン室に飾った。
お友達がレッスン室に入って、「わぁ!」と声をあげてくれた。
部屋に入るや否や、真っ先に気付いてくれたことに、私はひそかに感激した。

甘い味、辛い味、しょっぱい味・・・
色んな味を乗っける前に、娘がプレゼントしてくれたnekotoriの取り皿を、私はじゅうぶんにながめることにした。
子供の頃の思い出と、四羽の鳥の可愛らしさが、お腹を満腹にしてくれる幸せを嫌というほど味わうために。。。
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