
2019年10月23日
「叱られて」〜リードオルガンとうたう日本の歌の午後。。
叱られた時のことを、おぼえていますか?
学校の先生、近所のおばさん、お母さん、そして、お父さん。
叱られた時の涙は、怒られた時よりもうんとたくさんこぼれ落ちる。
私の涙は、その時々で「あじ」が違う。。。

《イノヴェーションオフィス納屋七(旧広田家)》
叱られて
清水かつら 詩 弘田 龍太郎 曲
叱られて 叱られて
あの子は町まで おつかいに
この子は坊やを ねんねしな
夕べさみしい 村はずれ
こんと きつねが なきゃせぬか
叱られて 叱られて
口には出さねど 眼になみだ
二人のお里は あの山を
越えてあなたの 花の村
ほんに花見は いつのこと
(あなた=彼方)

小さい頃、父によく叱られた。
靴の脱ぎ方、お箸の使い方、話し方・・・
おてんばだった私は、毎日毎日父に叱られていた。
世界一強くて、誰よりもこわくて、そして誰よりも自分を守ってくれる存在だった。
そんな父が病院に入院してひと月になる。
清水かつらの「叱られて」が作られて10年経った昭和初期の日本で父は生まれた。
納屋七(旧広田家)の座敷に立っていたら、父が生まれ育った岐阜の屋敷を思い出した。
知らないはずの子供だった父が隣にいるような、なんとも懐かしい気持ちにさせてくれた。
父が物心つく頃にはもう、「叱られて」の詩のように、子守りに出された子供はいなかったかもしれない。
でも、この詩から受け取れる「辛抱強さ」は、ベッドに横たわる父に会いに行くたび伝わってくる。
「叱られて」のたった4小節を聴いただけで、色んな思いが交差するのはなぜだろう。
100年という月日の、長くて短い時間の重みをつい考えてしまう。
小さい頃からずっと、私にとって父は大きすぎて、甘えることも、自分から手を繋いだりすることもできなかった。
でも、今は父から私の手を握ってくれる。
ギュッと握ってくれる。
それだけで私は、大好きな父に一生分甘えられているような気がするのだ。。。

納屋七(旧広田家)は、リードオルガンコンサートの会場「本町宿」から、歩いて数分。
リードオルガンは、コンサート終了後、納屋七(旧広田家)で大切に保管・活用されます。
今後の企画・イベントをお楽しみに。
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2019年10月15日
リードオルガンとうたう日本の歌の午後〜塚田佳男リードオルガンコンサート
リードオルガン。
私が初めてその存在を知ったのは、小学校の低学年の時。
祖母は大変歌が得意で、尋常小学校の行事や地域のお祭りなどがあると、きまって独唱をしていたそうです。
私がどれだけ「歌って!」とせがんでも、祖母は一度も歌ってはくれませんでしたが、たった一度だけ、眠れない私のために小さな声で子守唄を歌ってくれたのを覚えています。
今思うと、とても高い声で、そして消えそうな声でした。
小さな体で夫に代わって米穀店を切り盛りする祖母にとって、華やかだった娘時代の思い出は遠い昔の大切な夢のおはなしだったのかもしれません。
聴いたことのない歌は、賛美歌のような歌で、祖母はその時にリードオルガンの話をしてくれました。
リードオルガンの音色は、日本の音楽の「ふるさと」そのもののような気がします。
異国で生まれた楽器は、日本の国に浸透し、そしてたくさんの子供達に夢を与えました。


12月14日(土)、日本歌曲の研究・解釈・伴奏の第一人者である 塚田佳男先生をお迎えし、コンサート「リードオルガンとうたう日本の歌の午後」を開催します。
会場は彦根城下町の本町宿にて午後3時より開演となります。
コンサートでは塚田佳男先生のリードオルガンソロ。
そして、ソプラノ 白谷仁子 神澤智香・カウンターテノール 原田泰彦の歌をお楽しみいただきます。
明治36年(1904年 ヤマハ 製造番号65187)に日本で生まれたリードオルガンの音色を、どうかたくさんの方々に聴いていただきたいと願っています。
◆お問い合わせ
音楽企画湖音ko-on(白谷)090-4300-9616
ひこね文化デザインフォーラム 0749-23-3383
2019年10月05日
芸術の秋、母校の合唱コンクール。。。
スポーツの秋、芸術の秋、食欲の秋・・・
秋は心をリセットするのにはもってこいの季節。
子供達も、運動会・音楽会・芸術祭など、充実した日々を目で、体で感じている。
《佐和山ファームで収穫したベニハルカで作ったケーキ》

昨日は長浜西中学校の合唱コンクールの審査だった。
1年生から3年生まで、安定した美しいハーモニーを聴かせてくれた西中学校は、私が初めて音楽の常勤講師として勤務した学校だった。
そして今日、毎年審査に訪れている母校の長浜北中学校に訪れた。
振り返ってみると、市内近郊の中学校合唱コンクールの指導や審査に行くようになって、もう20年以上が経つ。
大きな声で歌うことが一番の評価点になっていた時期、指導に憤りを感じたこともあったが、私自身、中学校のクラス合唱というものに対する自分の考えがまとまらないまま何年も過ぎていった。
どの学校もプログラムは教本に従い、毎年ほぼ同じ曲が並ぶ。
それは仕方のないことかもしれないが、最後のクラス合唱となる3年生には、「コンクールで優勝する」ことよりも「表現することの楽しさ」を心から味わって欲しいと、最近思うようになってきた。その為の楽曲選びは、とても大切だと思う。
今日の3年生のコーラスは、どのクラスも心に届いて来るメッセージがあった。
選曲も「流浪の民」や「親知らず子知らず」など、もう何十年もの間歌い継がれてきた名曲があり、その仕上がりも聴きごたえがあった。
目に見えるものではないけれど、本当の芸術はとても身近にあると思う。
そして、感動というものは決して、完成されたものの中にだけあるのではないと思うのだ。
《佐和山ファームのベニハルカ…数時間後ケーキに変身》

スポーツの秋、芸術の秋、食欲の秋・・・
私の芸術の秋は、可愛い中学生の歌声で幕を開けた。
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秋は心をリセットするのにはもってこいの季節。
子供達も、運動会・音楽会・芸術祭など、充実した日々を目で、体で感じている。
《佐和山ファームで収穫したベニハルカで作ったケーキ》

昨日は長浜西中学校の合唱コンクールの審査だった。
1年生から3年生まで、安定した美しいハーモニーを聴かせてくれた西中学校は、私が初めて音楽の常勤講師として勤務した学校だった。
そして今日、毎年審査に訪れている母校の長浜北中学校に訪れた。
振り返ってみると、市内近郊の中学校合唱コンクールの指導や審査に行くようになって、もう20年以上が経つ。
大きな声で歌うことが一番の評価点になっていた時期、指導に憤りを感じたこともあったが、私自身、中学校のクラス合唱というものに対する自分の考えがまとまらないまま何年も過ぎていった。
どの学校もプログラムは教本に従い、毎年ほぼ同じ曲が並ぶ。
それは仕方のないことかもしれないが、最後のクラス合唱となる3年生には、「コンクールで優勝する」ことよりも「表現することの楽しさ」を心から味わって欲しいと、最近思うようになってきた。その為の楽曲選びは、とても大切だと思う。
今日の3年生のコーラスは、どのクラスも心に届いて来るメッセージがあった。
選曲も「流浪の民」や「親知らず子知らず」など、もう何十年もの間歌い継がれてきた名曲があり、その仕上がりも聴きごたえがあった。
目に見えるものではないけれど、本当の芸術はとても身近にあると思う。
そして、感動というものは決して、完成されたものの中にだけあるのではないと思うのだ。
《佐和山ファームのベニハルカ…数時間後ケーキに変身》

スポーツの秋、芸術の秋、食欲の秋・・・
私の芸術の秋は、可愛い中学生の歌声で幕を開けた。
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