
2021年01月14日
地異のかたみ。。。
「ヒト」を見る。
「ヒト」を感じる。
「ヒト」ではなく、「モノ」を見、「コト」を感じたら、心は違うところに居場所を見つけることができる。
地異・・・という言葉は、共に生きることを教えてくれる。
今朝ふと、立原道造氏の「はじめてのものに」を読みたくなった。
立原道造全集(全6巻 角川書店)は、私の宝物だ。
第1巻は、詩集『萱草に寄す』SINATINE NO.1「はじめてのものに」から始まる。

はじめてのものに
ささやかな地異は そのかたみに
灰を降らした この村に ひとしきり
灰はかなしい追憶のやうに 音立てて
樹木の梢に 家々の屋根に 降りしきつた
その夜 月は明かつたが 私はひとと
窓に凭れて語りあつた(その窓からは山の姿が見えた)
部屋の隅々に 峡谷のやうに 光と
よくひびく笑ひ声が溢れてゐた
――人の心を知ることは……人の心とは……
私は そのひとが蛾を追ふ手つきを あれは蛾を
把へようとするのだらうか 何かいぶかしかつた
いかな日にみねに灰の煙の立ち初めたか
火の山の物語と……また幾夜さかは 果して夢に
その夜習つたエリーザベトの物語を織つた
浅間山の噴火は、その時、道造氏の心にどんな灰を降らせたのだろう。
そんなことを、つい考えてしまう。
灰に埋もれた小さな松の木や、穴だらけの石を手に取り、自分の呼吸を感じた日から6年が過ぎた。
火の山の物語と、エリザベートの物語。
シュトルムの『みずうみ(インメン湖)』という物語と道造氏自身の「いま」を重ねているかのように思えるのは私だけだろうか。
樹木や屋根に降る灰、仲間との語らい、そして、作者の少し離れた場所に、明るく笑うエリザベートが姿が見えるような気がする。。。
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2021年01月01日
2021年に新たなおもいを込めて。。。
新年 明けましておめでとうございます。
今年も詩をよみ、歌を歌い、心豊かな日々を送りたいとおもいます。
どうか2021年もよろしくお願いいたします。
感謝と祈りを込めて、この歌を・・・
いつまでも いつまでも
いつまでも いつまでも
もしも 僕らが鳥だつたなら
空の高くを 飛んでゐよう
雲のあちらを あごがれながら
いつまでも いつまでも
木の枝にゐて うたつてゐよう
たつたひとつの うたのしらべを
同じ聲で うたつてゐよう
身のまはりで すべてが死に
僕らのうたは 悲しみになる
そして 空は 限りなくとほい
あのあこがれは 夢だつた と
僕らの翼と咽喉は 誣ひるだらう
いつまでも そのあと いつまでも
鮎の歌「物語」からⅢ“いつまでも いつまでも”
立原道造全集第三巻 物語
2020年10月31日
月の光に与へて。。。
月からもらった光は、
自分の中に貯金しておこう。
少し心が弱ったら、
その光を少しずつチャージするのだ。
いつも元気な私でいるために。。。
《2020.10.31 17:45 ブルームーン》

月の光に与へて
おまへが 明るく てらしすぎた
水のやうな空に 僕の深い淵が
誘はれたとしても ながめたこの眼に
罪は あるのだ
信じてゐたひとから かへされた
あの つめたい くらい 言葉なら
古い泉の せせらぎをきくやうに
僕が きいてゐよう
やがて夜は明け おまへは消えるだらう
あした すべてを わすれるだらう
〜立原道造〜
ヴェルレーヌ、立原道造、
詩の中の月は、光をともなって心に寄り添っている。
そして月はいつも、音楽とリンクしている。

ハロウィンの10月31日に満月となるのは、1974年以来46年ぶり。
次回は38年後の2058年.
天国から見下ろすブルームーンは、どんなだろうか。。。
2020年09月14日
いつまでも いつまでも〜立原道造 鮎の歌「物語」
僕には、たったひとつわからないことがある。
時はなぜこのようにくりかえすのか。
そしてなぜ僕にひきとめれずにすぐ死に絶え流のか。
立原道造全集第三巻 物語
鮎の歌「物語」からⅣ
9月になって、2つのコンサートに出かけた。
例年だと、週末は自分のコンサートやリハーサルが入っていて、月に2つのコンサートに出かけることは滅多とない私にとって、自分への良いプレゼントとなった。
6日、木之本スティックホールで開催された「Sous le Ciel de Paris」。
パリに留学されていたピアニスト 横田麻友子さんのお仲間と繰り広げるフランス音楽、日本の歌に、客席が始終引き込まれた。
プログラムも演奏も、流石だった。
コンサート中、4人のトークはパリのお話。。。
短い間だったが、2月にパリに滞在し、リサイタルを開催した私は、ほんのひと時、その空間を幸せな気持ちで共有した。
12日、びわ湖ホール大ホールで開催された「オペラ作曲家の横顔〜ロッシーニ〜」。
3月公演が中止となり、会場を小ホールから大ホールに変えての豪華なコンサートだった。
初期ロマン派のロッシーニのオペラはもちろんだが、宗教曲や合唱曲も大好きな私は心から楽しみにしていた。
お目当はもちろん第二部の「スターバト・マーテル」だった。
第一曲から十曲まで、時間を忘れて音楽と声とピアノを堪能した。
ホールの中にいると、音だけに集中できる。
演奏者である時も、聴衆者の時も、どちらでいても「自分」を鮮明に感じられる空間だ。
びわ湖ホールを後にしながら、耳に残る生きたハーモニーを感じながら思うことは一つだった。
練習を待つコーラスのメンバーを歌わせてあげること。。。
時は繰り返され、取り戻すことができない。
大切な時間は、大切に過ごすことで作られるものなのだということを、忘れてはいけない。

いつまでも いつまでも
いつまでも いつまでも
もしも 僕らが鳥だつたなら
空の高くを 飛んでゐよう
雲のあちらを あごがれながら
いつまでも いつまでも
木の枝にゐて うたつてゐよう
たつたひとつのしらべを
同じ聲で うたつてゐよう
身のまはりで すべてが死に
僕らのうたは 悲しみになる
そして 空は 限りなくとほい
あのあこがれは 夢だつた と
僕らの翼と咽喉は 誣ひるだらう
いつまでも そのあと いつまでも
鮎の歌「物語」からⅢ“いつまでも いつまでも”
立原道造全集第三巻 物語
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2020年07月23日
雨上がりの探検。。。
私は雨が好きだ。
小さい頃はもっと好きだった。
なぜって、お洗濯の心配をしなくて良かったから。
雨上がりの道、草むら、髪の毛・・・不思議なにおいに包まれながら、絵にも描けない、時にも書けない世界について考える。。。
そんな時間が何より好きだった。

雨の言葉
立原道造
わたしがすこし冷えてゐるのは
糠雨(ぬかあめ)のなかにたつたひとりで
歩きまはつてゐたせいゐだ
わたしの掌は 額(ひたい)は 濕つたまま
いつかしらわたしは暗くなり
ここにかうして凭(もた)れてゐると
あかりのつくのが待たれます
そとはまだ音もないかすかな雨が
人のゐない川の上に 屋根に
人の傘の上に 降りつづけ
あれはいつまでもさまよひつづけ
やがてけぶる霧にかはります……
知らなかつたし望みもしなかつた
一日のことをわたしに教へながら
靜かさのことを 熱い晝間のことを
雨のかすかなつぶやきは かうして
不意にいろいろかはります
わたしはそれを聞きながら
いつかいつものやうに眠ります
「拾遺詩編」(1935~36年の作品)
岩波文庫の「立原道造詩集」
私は雨が好きだ。
小さい頃はもっと好きだった。
なぜって、雨上がりの探検が、いつもより特別なものに思えたから。。。
2020年04月24日
空の青と、緑の碧。。。
空が澄んできたと聞いて、家の周りを歩いてみた。
空の青よりも緑の碧のほうが、私には澄んで見えた。
《ハナイカダ 花言葉「嫁の涙」》

うたふやうにゆつくりと‥‥
日なたには いつものやうに しづかな影が
こまかい模様を編んでゐた 淡く しかしはつきりと
花びらと 枝と 梢と――何もかも……
すべては そして かなしげに うつら うつらしてゐた
私は待ちうけてゐた 一心に 私は
見つめてゐた 山の向うの また
山の向うの空をみたしてゐるきらきらする青を
ながされて行く浮雲を 煙を……
古い小川はまたうたつてゐた 小鳥も
たのしくさへづつてゐた きく人もゐないのに
風と風とはささやきかはしてゐた かすかな言葉を
ああ 不思議な四月よ! 私は 心もはりさけるほど
待ちうけてゐた 私の日々を優しくするひとを
私は 見つめてゐた……風と 影とを……
立原道造『優しき歌』から

そういえば、その澄んだ緑を作るのは空の色だと、教わった事がある。
その時のことを、その時の空の色を思い出した。。。
空の青よりも緑の碧のほうが、私には澄んで見えた。
《ハナイカダ 花言葉「嫁の涙」》

うたふやうにゆつくりと‥‥
日なたには いつものやうに しづかな影が
こまかい模様を編んでゐた 淡く しかしはつきりと
花びらと 枝と 梢と――何もかも……
すべては そして かなしげに うつら うつらしてゐた
私は待ちうけてゐた 一心に 私は
見つめてゐた 山の向うの また
山の向うの空をみたしてゐるきらきらする青を
ながされて行く浮雲を 煙を……
古い小川はまたうたつてゐた 小鳥も
たのしくさへづつてゐた きく人もゐないのに
風と風とはささやきかはしてゐた かすかな言葉を
ああ 不思議な四月よ! 私は 心もはりさけるほど
待ちうけてゐた 私の日々を優しくするひとを
私は 見つめてゐた……風と 影とを……
立原道造『優しき歌』から

そういえば、その澄んだ緑を作るのは空の色だと、教わった事がある。
その時のことを、その時の空の色を思い出した。。。
2020年04月14日
ゆさぶれ ゆさぶれ。。。
人は「きっかけ」がないと「きづく」ことができない。
良いことも、悪いことも、自分の心にも。
《茱萸 花言葉「心の純潔」》

茱萸の木が、真っ青な空の下、強風にあおられていた。
たわわなアイボリーの小花はびくともせず、ほとんど人の通らない道の脇に、それは美しい光景を作っていた。
この花たちが宝石のような朱い実をつける秋の頃、何が変わるのだろう。
詩人の倍も生きているのに、
生きているからこそたどり着けない安堵がある。

わかれる昼に
ゆさぶれ 青い梢を
もぎとれ 青い木の実を
ひとよ 昼はとほく澄みわたるので
私のかへつて行く故里が どこかにとほくあるやうだ
何もみな うつとりと今は親切にしてくれる
追憶よりも淡く すこしもちがはない静かさで
単調な 浮雲と風のもつれあひも
きのふの私のうたつてゐたままに
弱い心を 投げあげろ
噛みすてた青くさい核たねを放るやうに
ゆさぶれ ゆさぶれ
ひとよ
いろいろなものがやさしく見いるので
唇を噛んで 私は憤ることが出来ないやうだ
〜立原道造「萱草に寄す」より〜

良いことも、悪いことも、自分の心にも。
《茱萸 花言葉「心の純潔」》

茱萸の木が、真っ青な空の下、強風にあおられていた。
たわわなアイボリーの小花はびくともせず、ほとんど人の通らない道の脇に、それは美しい光景を作っていた。
この花たちが宝石のような朱い実をつける秋の頃、何が変わるのだろう。
詩人の倍も生きているのに、
生きているからこそたどり着けない安堵がある。

わかれる昼に
ゆさぶれ 青い梢を
もぎとれ 青い木の実を
ひとよ 昼はとほく澄みわたるので
私のかへつて行く故里が どこかにとほくあるやうだ
何もみな うつとりと今は親切にしてくれる
追憶よりも淡く すこしもちがはない静かさで
単調な 浮雲と風のもつれあひも
きのふの私のうたつてゐたままに
弱い心を 投げあげろ
噛みすてた青くさい核たねを放るやうに
ゆさぶれ ゆさぶれ
ひとよ
いろいろなものがやさしく見いるので
唇を噛んで 私は憤ることが出来ないやうだ
〜立原道造「萱草に寄す」より〜

2020年04月04日
-しあわせは どこにある?。。。
3月になって、
空を見上げる回数が増えた気がする。
目的無くドアを開けて外に出ることが、
とても懐かしいのだ。
娘たちが小さな頃は「目的なく外に出る」事が目的だった。
そんな時の風景や表情のほうが、
心に鮮明だから不思議だ。
「今」がいつまで続くのか、
ときを早送りしてみたくなるけれど、
瞬きする間に入れ替わる「現実」と「非現実」は、
誰に操ることもできない。
”-しあわせは どこにある?”
問いかける詩人の心に到達できるのは、
いったいいつのことだろう。。。

草に寝て
それは 花にへりどられた 高原の
林のなかの草地であった 小鳥らの
たのしい唄をくりかえす 美しい声が
まどろんだ耳のそばで きこえてゐた
私たちは 山のあちらに
青く 光ってゐる空を
淡く ながれてゆく雲を
ながめてゐた 言葉すくなく
-しあわせは どこにある?
山のあちらの あの青い空に そして
その下の ちひさな 見知らない村に
私たちの 心は あたたかだった
山は やさしく 陽にてらされてゐた
希望を夢を 小鳥と花と
私たちの友だちだった
六月の或る日曜日に
~立原道造~
2020年02月17日
バイカオウレンに。。。
どんなに一日が長くても
どんなに残念なことがあっても
ゆっくりページをめくってみる
小さな窓をのぞいてみる・・・
《バイカオウレン 花言葉「幸せになる」》

楽しくて仕方ないときも
笑いがとまらないときも
ゆっくりページをめくってみる
窓の隅っこの小さな虫を探してみる・・・

自分だけのページを持っている私
真綿のような温みのページを持っている私

私はどんな時も昨日のことのように思い出す
一面に散りばめられた白い羽根のような小花たちを
ただ、ただ、我眼で追いかけた日のことを。。。
2017年11月23日
愛する詩 Ⅱ。。。
黄色くなったイチョウの葉を、
大切そうにつまんでいる小さな少女をみた。
「ひとぉつ、ふたぁつ、みっつ・・・」
私も、私の娘たちも、かつてはあのような小さな少女だった。
あの子もいつか大人になり、
色んな事を知ってゆくのだろう。。
いつからだろう、季節を数えるようになった。
「ひとぉつ、ふたぁつ、みっつ・・・」

II 真冬のかたみに……
Heinrich Vogeler gewidmet
追ひもせずに 追はれもせずに 枯木のかげに
立つて 見つめてゐる まつ白い雲の
おもてに ながされた 私の影を――
(かなしく 青い形は 見えて来る)
私はきいてゐる さう! たしかに
私は きいてゐる その影の うたつてゐるのを……
それは涙ぐんだ鼻声に かへらない
昔の過ぎた夏花のしらべを うたふ
《あれは頬白 あれは鶸 あれは 樅の樹 あれは
私……私は鶸 私は 樅の樹……》 こたへもなしに
私と影とは 眺めあふ いつかもそれはさうだつたやうに
影は きいてゐる 私の心に うたふのを
ひとすぢの 古い小川のさやぎのやうに
溢れる泪の うたふのを……雪のおもてに――
〜立原道造『優しき歌 Ⅰ』〜
《イチョウ 花言葉「鎮魂」》

道造が敬愛する画家であり建築家のHeinrich Vogeler gewidmet(ハインリッヒ・フォーゲラー)に捧げた詩の中に、丁寧に何かを一つずつ数える影の声が確かに聞こえる。
春と秋。「生」という一文字が、こんなにも違って見えるのは、自分が生きているからだ。
地面に散ったイチョウの絨毯の上に立ち、無口にならないのは、自分が生きているからだ。

「ひとぉつ、ふたぁつ、みっつ・・・ここのつ。」
ここのつ目の秋は、とても急ぎ足だ。。。
大切そうにつまんでいる小さな少女をみた。
「ひとぉつ、ふたぁつ、みっつ・・・」
私も、私の娘たちも、かつてはあのような小さな少女だった。
あの子もいつか大人になり、
色んな事を知ってゆくのだろう。。
いつからだろう、季節を数えるようになった。
「ひとぉつ、ふたぁつ、みっつ・・・」

II 真冬のかたみに……
Heinrich Vogeler gewidmet
追ひもせずに 追はれもせずに 枯木のかげに
立つて 見つめてゐる まつ白い雲の
おもてに ながされた 私の影を――
(かなしく 青い形は 見えて来る)
私はきいてゐる さう! たしかに
私は きいてゐる その影の うたつてゐるのを……
それは涙ぐんだ鼻声に かへらない
昔の過ぎた夏花のしらべを うたふ
《あれは頬白 あれは鶸 あれは 樅の樹 あれは
私……私は鶸 私は 樅の樹……》 こたへもなしに
私と影とは 眺めあふ いつかもそれはさうだつたやうに
影は きいてゐる 私の心に うたふのを
ひとすぢの 古い小川のさやぎのやうに
溢れる泪の うたふのを……雪のおもてに――
〜立原道造『優しき歌 Ⅰ』〜
《イチョウ 花言葉「鎮魂」》

道造が敬愛する画家であり建築家のHeinrich Vogeler gewidmet(ハインリッヒ・フォーゲラー)に捧げた詩の中に、丁寧に何かを一つずつ数える影の声が確かに聞こえる。
春と秋。「生」という一文字が、こんなにも違って見えるのは、自分が生きているからだ。
地面に散ったイチョウの絨毯の上に立ち、無口にならないのは、自分が生きているからだ。

「ひとぉつ、ふたぁつ、みっつ・・・ここのつ。」
ここのつ目の秋は、とても急ぎ足だ。。。