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Posted by 滋賀咲くブログ at

2021年08月15日

れんげ畑と、幼い私と、歌と。。。



れんげ草」という詩に出会って   白谷仁子

 私が生まれ育った滋賀県長浜市は、山、川、そして湖の恵みを受ける自然豊かな街です。
小学1年生から大学を卒業するまで、私は琵琶湖の畔でのびのびと暮らしました。
家から歩いて数分のところには、新興住宅地のために整備された埋立地が広がっており、桜の時期が終わると、そこは目を見張る一面のれんげ畑が広がりました。
小学校から帰ると一目散にそこへ向かい、雨の日も晴れの日も、れんげの花に囲まれて無心に遊びました。
琵琶湖の水面にお日様が沈む頃、エプロン姿の母が迎えに来てくれて、暗くなるまで冠や首飾り、指輪をいっしょに作りました。
「れんげ姫さん、そろそろ帰ろっか。」
母の言葉は「おしまい」の合図。
夕日を背に、母と私は大きな声で歌をうたいながら家へと帰って行きました。
 今、たくさんの家が立ち並ぶその場所は、母と私の「れんげ畑」の思い出の場所です。
藤岡きみこさんの詩「れんげ草」と出会い、母との絆や、幼い頃の思い出に再び触れることができました。
 今は施設でお世話になっている母にも、この歌を届けたいと思っています。

〜全日本児童音楽協会『新しい子どもの歌 2021』ハンナ出版より〜






『童謡』『童謡歌手』
今や,ひと昔前の言葉のように感じる言葉。
物心ついてからというもの、母の歌う童謡や叙情歌を聴きながら育った私は、日々の時間が歌と共にゆっくりとながれていました。

子どもの歌を、子どもが、子どもらしく歌う。
大人は子どもの感性や情緒、優しさを育てるために詩を書き、作曲家は同じ気持ちでメロディーをつけました。
童謡運動の幕開けから100年以上が経った今、消してはいけない日本の音楽分野があることを、私たちはわすれてはいけません。

藤岡きみこさんの詩『れんげ草』を読んだ時、驚きと懐かしさで、ほとんど瞬間的にメロディーが心に浮かびました。
まさに、私の大切にしている母との思い出そのものだったから。

全日本児童音楽協会が開催した第66回『新しい子どもの歌コンサート』は8月5日に開催され、私の作曲した『れんげ草』(作詞:藤岡きみこ 作曲:白谷仁子)は小学校4年生の馬場眞実さんの独唱で発表されました。
その1週間後、『れんげ草』を気に入ってくれた眞実さんは、12日・13日と開催された『あおいコンクール』でも歌ってくださり、見事1位に輝きました。





童心に帰る・・・
それは、何気ない瞬間にふと心に降ってくる小さな光の粒のように・・・
童謡は心のふるさと。
忘れていた何かを思い出させてくれます。





小学校入学と同時に、私は大好きだった長浜市のまちなかから、琵琶湖のほとり移り住んだ。父が家族の為に設計し、建ててくれたその家の周りには、それまで暮らしたまちなかには無い風景があふれていた。まだ数件しか建っていない団地のあちこちにある桑畑。埋立地一面に広がるレンゲ畑。家から僅か数分歩くと、そこには広大な琵琶湖が両手をひろげていた。当時、好奇心旺盛だった私にとってそれは、まさに『自然の楽園』だった。
2014年 滋賀県建築設計家協会 鳰の巣vol.40『淡海に寄せる歌〜白谷仁子』から






  


Posted by 白谷仁子 at 11:43ふるさとお花

2021年07月28日

虫のこえとバロックと。。。2017年9月

『ゴールドベルク変奏曲のアリアが始まると、虫は一斉に静まり、
 ついでイタリア協奏曲になると、スィッチョンの声がどこからか聞こえ出し、
 平均律に入ると、ツクツクボーシが賑やかに歌い出しました。
 ・・・わかるんですね、虫さんにも音楽が・・・』

こんなMCをしながら、米原市にある石田三成ゆかりの観音寺境内で、バロックコンサートが開催されてから、もうすぐ4年が経つ。
これは、米原市と私の主宰する音楽企画湖音との企画で、滋賀県アートコラボレーション事業の一環として、本公演となる翌年開催のホールコンサート『エンジョイ・ザ・バロック』の前に、3回のアウトリーチコンサートを行うというものだった。
アウトリーチコンサートとは、演奏家がときに楽器を持参して地域を訪問する、いわば出前コンサートのことだ。

スタートは、チェンバロとソプラノによるバロック音楽のプログラム。
おそらく、会場となった観音寺にチェンバロが運び込まれたのは、長い歴史の中でも初めてのことだろう。

チェンバロ奏者 小林祐香さん(吉田祐香さん)の美しいチェンバロで歌えるという、私にとって幸せな時間でもあった。。。


《モンテヴェルディ「苦しみが甘美なものならば Si dolce è'l tormento, SV 332.」



開け放された板戸と障子、まるで山全部がホールと化した中で、虫の声も歌声もともに溶け込んでいく瞬間が心地よかった。





お寺DEコンサート〜バロックの調べ〜
2017年9月24日(日)13:00開演(12:30開場) 観音寺
    ープログラムー

G.F.ヘンデル
  樹木の影で   調子の良い鍛冶屋

A.スカルラッティ 1660-1726
     オペラ「十人委員会の凋落(ちょうらく)」から
     貴方が私の死の栄光を

C.モンテヴェルディ1567-1643
     苦しみはかくも甘き 

J.S.バッハ 1685-1750
     ゴールドベルク変奏曲よりアリアBWV988 
     イタリア協奏曲BWV971 3楽章


A.ヴィヴァルディ1678-1741
     歌劇「ジュスティーノ」から
             喜びと共に会わん

J.S.バッハ
     平均律ハ長調プレリュードBWV846

J.S.バッハ/C.グノー
Ave Maria

ソプラノ 白谷仁子  チェンバロ 小林祐香


《2017年9月 チェンバロの説明をする祐香さん》



演奏後は、祐香さんの提案で楽器説明を間近で受けることもでき、チェンバロを取り囲むお客様が途絶えることなく続いた。

『ゴールドベルク変奏曲のアリアが始まると、虫は一斉に静まり、
 ついでイタリア協奏曲になると、スィッチョンの声がどこからか聞こえ出し、
 平均律に入ると、ツクツクボーシが賑やかに歌い出しました。』





 ・・・わかるんですね、虫さんにも音楽が・・・  


2021年06月09日

私と、びわ湖と、自由と。。。



”自由ですか?”

そう聞かれたら
何と答えますか・・・?







小さい頃からずっと見てきたのに
季節によって
お天気によって
風の香りも水の色も違うその風景は
見るたびに新鮮な印象を与えてくれる







小さい時から
やりたいと思ったことをやった
叱られるとわかっていても
興味があったらまずやってみた

だから
その後にどれだけ叱られても平気だった
笑われても呆れられても平気だった

きっと
窮屈な時も寂しい時も
私はいつも自由だった

びわ湖を眺めていると
そんな頃を思い出す
そんな頃に戻ることができる







時間に追われている時も
へとへとに疲れていても
自分に寄り添える心があれば
それはきっと
自由だと言える

”自由ですか?”

そう聞かれたら
私はこう答える

”あいかわらず自由です”と





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Posted by 白谷仁子 at 21:48ふるさと私。。。

2021年01月21日

月は人、人は月。。。



月の見えない夜は空しく
満月の夜は哀しい





なぜだろう
真半分のお月さまが優しいのは

月は人のように形を変え
人は月のように心を隠す





銀色にひかる自分も
宇宙の闇に溶け込む自分も

全部がまぁるい一個の自分だと
教えてくれる






  


Posted by 白谷仁子 at 21:47ふるさと私。。。

2020年11月06日

しづかな 画家。。。



  しづかな 画家

だれでも みてゐるな、
わたしは ひとりぼつちで描くのだ、
これは ひろい空 しづかな空、
わたしのハイ・ロマンスを この空へ 描いてやらう

             八木重吉「秋の瞳」から









毎日見ている風景が、全く違って見える時がある。
それがとびきり美しかったりすると、「昨日はもっと綺麗だったかもしれない・・・」なんて無頓着だった昨日を悔いたりもする。

だけれど、こんな空を見たときは、きまって幼い頃を思い出してしまう。

目の前のことしか見えていなかった。
目の前のことだけ見ていればよかった。

知らないこと、楽しいこと、おっかないこと。
その全部が未来だったあの頃は、毎日が「初めての出会い」だった。

真っ赤な実がどうしても欲しくて、雑木林の柵によじ登って蔓ごと引っ張ってとった烏瓜は、ピカピカに光っていた。
だんだん暗くなる空に気づき、一目散に家に向かって走った。烏瓜をしっかりと握りしめて。

汚れた服とひっかき傷だらけの小さな手に握った実を見て、母は「頑張ったね〜」と笑った。
お夕飯のあたたかいにおいと、父の大きな背中、そして母の笑顔があれば、何も怖くなかった。





美しい空と幼い頃の思い出。
音楽もまた、忘れていた記憶を取りもどしてくれる。。。







  


Posted by 白谷仁子 at 21:36ふるさと私。。。

2020年05月29日

不朽の精神。。。



午後、
ドライブに行きたいという義母を連れて、お空に近い方に向かってどんどん車を走らせた。
トンネルを2つ抜けたら、繋がっているはずの空気の味が全然違った。







自然が作る河・山の風景と、人が作る田んぼの風景との共演があまりにも綺麗で、車をとめてしばらくその風景を二人で眺めていた。
「空気がおいしいね。」
「だれも通らないね。。。」
何を言っていても笑顔になれた。


《サルトリイバラ 花言葉「不屈の精神」》



美しい棚田が広がる景色のうしろに、
サルトリイバラが薄緑の実をつけていた。
花言葉も私らしくポジティブで良い。

歌えない日が続くのは寂しい。。
だけれど、
グレゴリオ聖歌の時代から人類は歌ってきたんだ。
1500年も前から色んな時代を乗り越えて歌ってきたんだ。
もしもコロナが原因で、「コーラスが出来なくなる」「コンサートは難しい」というのなら、もっと前に人類は歌うことをやめていただろう。

地球全体が今、病と戦っているならば、私達細胞である人間は、治癒のために前向きに、そして賢く向き合うしかない。

いつもコーラスのメンバーや生徒に言っている言葉。
「歌を愛する人のもとを、歌はけして離れてはいかない。」のだ。

不朽の精神で時を待つこともまた、『音楽』に精通している。。。


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2020年05月19日

フレンチラベンダーとサンドウィッチ。。。



毎日毎日小さなお客様が通ってくる。
私に気づいているのかいないのか、忙しそうに花から花へと渡り飛んでいる。。。

フレンチラベンダーには、サンドウィッチがよく似合う。。。




小さな苗ポットを2つ買ったのは、何年前のことだっただろう。
琵琶湖岸のお気に入りのお店で、お気に入りのサンドウィッチを食べて、それほど多くない店さきの苗ポットに目をとめた。

その頃ラベンダーに凝っていいた私は、イングリッシュラベンダーをお庭に何種類か植えていたが、一番気になっていたのはフレンチラベンダーだった。
薄いピンクと紫、買ってきた2つのポットを、しばらくは可愛い素焼きの鉢で育てていたが、4年前に野いばらの隣に地植えした。

3年間、小さな株は大きく育たなかったが、今年になって、紫の株は抱えられないくらい大きく育った。


《フレンチラベンダー 花言葉「私にこたえてください。」》



5月に入って、義父の病院通いのために何度か湖岸を通うことになった。
お店の前を通るたびに、フレンチラベンダーと、美味しかったサンドウィッチの味と香りを思い出す。

ーお花と美味しい食べ物ー

私の中でこの2つはいつもリンクしている。
毎日欠かさず飾られていた子供のころの食卓が、私の「食べ物」に対する基本だ。

誰と、どんなものを・・・という記憶の中に、テーブルに飾られたかすみ草や、お店の入り口に置かれたプランターの小花などが写真のように目にうつる。

もう、あのサンドウィッチは食べられないが、お庭のフレンチラベンダーの手入れをするたびに、沢山の幸せな記憶が蘇ってくる。
食べることは命を繋ぐこと。

スパークリングワインには薄オレンジのバラが合う。
そして、サンドウィッチには、紫のフレンチラベンダー。。。


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Posted by 白谷仁子 at 18:46ふるさとお花食べ物私。。。

2020年04月04日

-しあわせは どこにある?。。。


3月になって、
空を見上げる回数が増えた気がする。

目的無くドアを開けて外に出ることが、
とても懐かしいのだ。

娘たちが小さな頃は「目的なく外に出る」事が目的だった。
そんな時の風景や表情のほうが、
心に鮮明だから不思議だ。

「今」がいつまで続くのか、
ときを早送りしてみたくなるけれど、
瞬きする間に入れ替わる「現実」と「非現実」は、
誰に操ることもできない。

”-しあわせは どこにある?”

問いかける詩人の心に到達できるのは、
いったいいつのことだろう。。。






草に寝て

それは 花にへりどられた 高原の
林のなかの草地であった 小鳥らの
たのしい唄をくりかえす 美しい声が
まどろんだ耳のそばで きこえてゐた

私たちは 山のあちらに
青く 光ってゐる空を
淡く ながれてゆく雲を
ながめてゐた 言葉すくなく

-しあわせは どこにある?
山のあちらの あの青い空に そして
その下の ちひさな 見知らない村に

私たちの 心は あたたかだった
山は やさしく 陽にてらされてゐた

希望を夢を 小鳥と花と
私たちの友だちだった

六月の或る日曜日に
~立原道造~

  


Posted by 白谷仁子 at 22:53ふるさと私。。。立原道造

2020年01月06日

そこには「はじめて」があった〜長浜市民会館。。。


はじめての発表会。
はじめての「アヴェ・マリア」独唱。
はじめてのオペラ「フィガロの結婚」。
初めての「第九」ソリスト。

そこには私の「はじめて」がいっぱいあった。



《1970年 長浜市民会館ではじめての発表会》




1965年、ちょうど私が生まれた年の11月に、長浜市民会館はオープンした。
6階建ての大きな建物は、鉄筋コンクリート。
873人収容の大ホールのほかにも、会議室や和室、貴賓室などがあった。

音楽教室に通っていた私は、はじめての発表会を長浜市民会館で体験した。
建物のの正面にはジグザグの階段があり、私は演奏することなどそっちのけで、その階段を上ったり降りたりして楽しんでいた。

高等学校に入学し、音楽部の顧問の先生に進められ、文化祭ではじめて独唱をした。
曲はシューベルトの「アヴェ・マリア」だった。

そしてその次の年、長浜市民会館で二期会のオペラ公演が開催された。
演目は、モーツァルトの「フィガロの結婚」で、スザンナを演じていたのは確か 斉藤昌子さんだった。
そのチャーミングで弾むようなソプラノの歌声は、今も私のお手本になっている。

大学を出て間も無く、長浜市民会館で開催されていたベートーベンの「第九」のソリストをさせてもらった。
これは、私にとってはじめてのオーケストラとの共演だった。

2008年の9月末に閉鎖することになってからは、そこに足を運ぶことは無くなったが、その大きな建物は帰路の大きな目印として、生活の中に染み付いていた。


昨日、父の入院している病院から帰る時、道を1本間違えた。
あるはずの建物が、気付かぬうちに消えていたのだ。
解体作業の間、何度も通っていたはずなのに、そのガランとした空の風景に、言いようのない寂しさを感じた。

私だけではない。
あの場所にどれだけ多くの人が思い出を残してきたのだろう。
古いものは必要に応じて新しく変えていかねばならない時がやって来る。
小さなものも、大きなものも、それは同じだ。

夕飯の時、長浜市民会館のことを話題にしてみた。
すると、思いもよらず色んな話が飛び出したので驚いてしまった。
思い出を語ることは、自身の思い出を大切にすることなのだと、今更のように思った。

たくさんの「はじめて」を作ってくれた人、場所、時間に、心から感謝の気持ちを送りたい。。。

 

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Posted by 白谷仁子 at 19:55ふるさと私。。。

2019年08月29日

田舎の自然。。。


 人間はどんなに
 文明人になっても
 田舎の自然を
 わすれてはいけない。
 1920年9月20日 竹久夢二
   「お葉宛の手紙より」

 




8月も残り少なくなると、「ゆびきりげんまん」をしたように、シュウメイギク(秋明菊)がお庭に咲き始める。
真夏に青々とした葉をたゆませることなく茂らせて、真ん中の小さな蕾を守っている姿は、大切な人を守る大きな手にも見える。

夢二が絵のモデルにしていた女性「お葉」に当てた手紙の一文は、夢二が36歳の誕生日を迎えた4日後のもの。
その年1920年1月は、最愛の人「彦乃」を亡くした年だ。

キンポウゲ科のシュウメイギクは、とても強い。
儚く消えていった恋人を想いながら、自然の美しさと儚さと、そして強さを誰かに伝えたかったのだろうか。

人間は、良いことも悪いことも、都合よく忘れる器用さを持っている部分がある。
だけれどそんなことを、自然の生き様だったり、音楽だったりが、時に思い出させてくれるのかもしれない。

また、秋がやってくる。





  


Posted by 白谷仁子 at 20:26ふるさとお花私。。。竹久夢二