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Posted by 滋賀咲くブログ at

2023年12月22日

長い夜のためのショーソン〜ピアフに。。。


今日、
一番夜が長い日。
外は刺すような冷たい風だけれど、
何もないこんな日に訪れる夜に、
心から「平和」を感じる。





悲しい夜はいくつもあった。
たぶん、
これからも幾度となく訪れる。
だけれど、
過ぎた日の自分よりも、
今の自分を大事にしたい。

長い夜にはショーソンがいい。
ピアフの息が言葉をつくる。

パリ。
ガルニエ内のお店で出会ったピアフのCD。
観光客目当てのものまでが小洒落ている。

長い夜のためのショーソンは ”Mea culpa” 
ピアフが歌うと、
「罪」は「罪」でなくなるのだ。。。
そして幸せな私ら聴衆は、
このドラマの中で長い夜を酔うことが許されている。。。






”Mea Culpa” Édith Piaf

J'ai péché par orgueil
De t'avoir tout à moi
Dans un simple clin d'œil
Mea culpa

J'ai péché par envie
De me donner à toi
En te donnant ma vie
Mea culpa

Et puis par gourmandise
Illuminée par l'éclat de tes yeux
J'ai vu ta bouche et je me sentais grise
Car je buvais du feu

J'ai péché par paresse
Quand j'ai connu tes bras
Berceau de mes caresses
Mea culpa

Que ceux qui n'ont jamais péché
Me jettent la première pierre
Que ceux qui n'ont jamais aimé
Me refusent une prière

J'ai péché par colère
Contre toi, contre moi
Contre toute la Terre
Mea culpa

J'ai péché par luxure
Chaque soir, dans tes bras
Mais mon âme était pure
Mea culpa

Et puis par avarice
Je t'ai caché dans le fond de mon cœur
Pour mieux t'y adorer avec délice
À l'abri des voleurs

Ainsi donc, tu le vois
J'ai péché les sept fois
Rien qu'à cause de toi
Mea culpa

Mais un jour
Si tu me le demandais
Oh, mon amour
Je recommencerais
Mea culpa
Mea culpa
(ミッシェル・リヴゴーシュ 詩/コベール・ジロー 曲)
●Mea culpa・・・ラテン語で”私の罪”
  


Posted by 白谷仁子 at 16:15私。。。世界の歌うた

2023年12月21日

時は過ぎてゆく。。。



眠ってる間に 夢見てる間に
唄ってる間に 時は過ぎてゆく・・・・







自分の時間を持て余していた頃、
未来の時間はもっと激動的でゆっくり流れると思っていた。

守られる日々から守る日々へと変われり、
思い通りにならないことが「普通」なのだと理解し、
今ある自分の時間は、
自分の努力でしか守られないのだと、
そんな思い込みをしていた頃もあった。

失敗もあった。
別れもあった。
出会いはもう自分からは望まなくなった。
そうしたら、
心地よいものだけが残った。

ブログを書けなくなった日々の中で、
言葉の感性や創造は人それぞれだけれど、
やはりその「それぞれ」が自分にあることにも気付いた。

言葉の風景は絵の風景。
2024。
新しい年のために。
流れゆく時のために。
心の絵の風景を呼び覚ますために。







  時は過ぎてゆく
ジョルジュ・ムスタキ(日本語詞 古賀力)

眠ってる間に 夢見てる間に
時は流れ 過ぎてゆく
子供の頃は もう夢の中
時は時は 今も過ぎてゆく

あなたの愛に 溺れている間に
時ははかなく 過ぎてゆく
お前は可愛いい あの言葉も
あなたさえも 今は遠い夢

眠ってる間に 唄ってる間に
自由な時は 行ってしまった
戦いの中 傷つきながら
時は時は 今も過ぎてゆく

それでも私は 歌に生きる
それでも私は 愛に生きる
私は唄う あなたの為に
時は時は あまりに短い

眠ってる間に 夢見てる間に
唄ってる間に 時は過ぎてゆく・・・・  


Posted by 白谷仁子 at 14:54私。。。うた

2022年09月15日

薔薇の花に心をこめて。。。




お花屋さんで見つけた薔薇は、
見たことのないサーモンピンクで、
多分、お店に入った時からそれ以外は見えていなかった。

ちっとも薔薇らしくないその子を、
たった1輪だけ買った私。

何年か経った今も、
ピアノの上の透明なフレームの中で咲き続けている。
大切な思い出の真ん中には、
いつも花があった。

自分で買ったはじめての薔薇は、
香りゆかしい音楽のような薔薇だった。。。





薔薇の花に心をこめて 
      詩 大木惇夫
      曲 山田耕筰

薔薇よ薔薇
薔薇の花ささげまつる
地の上に香りて浄く
いと美わしき花なれば
薔薇よ薔薇
大空の御光ありて
薔薇よ薔薇
薔薇の花ささげまつる。

  


Posted by 白谷仁子 at 21:19日本の歌お花私。。。うた

2022年09月04日

コンサートから一週間。。。


コンサートから一週間が経った。。。


《こだわりのコンサートプログラム》



演奏の場は、その隅々が自己表現であって、イメージから企画、パートナーとのコミュニケーション、チラシ・プログラム、当日の張り紙まで、そこに集まる人たちと時間を共にすることだけに気持ちを集中させてきた。
プログラムへのこだわりもその中の一つ。



Photo:スタジオエコール


「失敗したくない」、「ドレスは何色?」、「ヘアスタイルはどうしよう・・」若い頃はそんなことばかり考えていた。
今はコンサート前後の数日間がイメージできているかいないかが何より大切で、それによってステージでのmotivationが決まるようになって来た。





・・・コンサート「パリ旅情」プログラムから・・・
フランスの音楽に憧れを抱き始めたのは、30年近く前のことでした。ポー ル・ヴェルレーヌの詩とガブリエル・フォーレの幻想的な歌曲の世界の虜に なった私は、様々な歌手によるフォーレの歌曲を聴きあさるうちに、自身で も歌いたいという強い思いを持つようになりました。日本語、イタリア語、 ドイツ語など、他国の言葉と音楽との融合は、まだ学生だった私の日常に億 のエッセンスを与えてくれましたが、大学を卒業してから取り組んだフラン ス歌曲は、別の意味で「自分の中に眠っていた音楽」を呼び覚ませてくれた のです。フランスをテーマにしたコンサートを企画する中で、憧れはますま す募り、その思いと麻友子さんのお誘いが、2020年2月、私をパリへと旅 立たせました。 パリの文化に憧れる人、パリの風景に魅了される人、日本でもたくさんの人 がそれぞれにパリという国を愛し続けています。今回のコンサートで選んだ 「パリ旅情」の詩人、深尾須磨子氏は、49歳の働き盛りに仕事で何度もパ リを訪れていました。その20年後、1957年69歳の時には、プライベート で1年間パリに暮らし、「パリ横丁」というエッセーと詩を書きました。2 年後に本が発行された直後、それを待っていたかのように8つの詩を選び、 歌曲「パリ旅情」を作曲したのが高田三郎です。時代は変わっても変わるこ とのない「人が何かを愛する気持ち」を、今日は「パリ旅情」を通し表現し たいと思っています。
、10年後に再びパリを訪れ、詩人と同じ年頃の私が早朝のセーヌ川辺りを ゆっくりと歩く姿が、私にははっきりと見えるのです。






麻友子さんと出会った頃、彼女はまだ学生さんで、真剣に音楽に向き合う健気で可憐な姿に惹かれたことをよくおぼえている。
それから何度か共演を重ね、パリで共演した時は、親子ほど年の違う私を見事にサポートし素晴らしいピアノで歌わせてくれた。
今回、プログラム後半のドビュッシー 版画「塔(パゴダ)」「グラナダの夕べ」「雨の庭」 は、その音の美しさについて、コンサート後たくさんのお客様から感動の声をいただいた。





「これからは好きに歌わせて欲しい!」
こんなトークに、会場は優しく笑いを乗せてくれた。
ある時から、既製品のような歌からはもう卒業したいと思った。
何が正しいのか、空の上の作曲家には聞けない。
残されたのは楽譜だけ。
そこから何を読み取ってどう表現するかで、演奏家の実力がわかる。

まだまだ勉強。
一生勉強。
きっとお空に昇っても勉強。。。


●お礼●
コンサート「パリ旅情」に足を運んでくださったお客様、立ち上げから終演までンサートのお手伝いをしてくださったスタッフのみなさま、文化産業交流会館のみなさま、コンサート前のウェルカム・コンサートで少ない人数ながら綺麗なハーモニーを披露してくれたラ・ルミエールのメンバー、そしてどんな時も白谷仁子を励まし勇気付けてくれる心の友達に、心から感謝いたします。
ありがとうございました。  続きを読む


Posted by 白谷仁子 at 22:07コーラス地域活動うた音楽企画 湖音ko-on

2022年04月10日

詩人 野口雨情 生誕140年に寄せて。。。



 今年、2022年5月29日は、童謡・民謡詩人である野口雨情の生誕140年にあたります。
2013年、CD「白谷仁子 日本の歌シリーズ 野口雨情の童謡と民謡 “やがて土に”」(piano 竹中直美)が完成し、多くのステージで雨情の童謡・民謡を歌ってきました。
野口雨情の詩の世界と私。
この節目のときに、また新たな気持ちで、「やがて土に」という雨情の言葉と向き合って見たいと思います。







私が北茨城市磯原に訪れたのは2011年1月27日、震災の起こる43日前の事でした。
そしてその日は、詩人〈野口雨情〉の命日でした。
その日、野口雨情生家を訪れた私は、その落ち着きある佇まいに、何か『懐かしさ』のようなものを感じました。生家の2階の窓から見える海を眺めていた私の目の前を、大粒の雪が舞い始めた頃には、もうすっかり雨情の童謡・民謡の世界に引き込まれていました。

思えば、物心付いた時から雨情の童謡は私にとって、とても身近なものでした。
それは特別誰かに習ったわけでもなく、ただ、毎日のように家のどこからか聴こえてくる母の歌声が、私と雨情との出会いを作ってくれたのです。
ある時は足踏みミシンの「カタカタ・・」という音と共に、ある時はまな板の「トントン」という音と共に。

時折夕暮れ時に聴こえてきた母の歌う《赤い靴》は、私を言いようのない寂しさで包み込みました。
物悲しいメロディーにのせて歌われる、「いっちゃった」というフレーズは、子供心に『戻れない』『引き返せない』という、深い悲しみを感じさせました。

私が、赤い靴を履いていたきみちゃんという女の子が実在していたという事、そしてこの歌にまつわるエピソードを知ったのは、ずっと後になってからの事でした。
不思議なのは、幼い私が耳にした母の歌う《赤い靴》の印象は、その事を知った大人になった今も、全く変わらないということです。
〜 CD「白谷仁子 日本の歌シリーズ 野口雨情の童謡と民謡 “やがて土に”」から〜







  赤い靴
『青い眼の人形』から

赤い靴 はいてた
女の子
異人さんに つれられて
行つちゃった

横浜の 埠頭から
船に乗つて
異人さんに つれられて
行つちゃった

今では 青い目に
なつちやつて
異人さんのお国に
ゐるんだらう

赤い靴 みるたび
考へる
異人さんに逢ふたび
考へる

「小学女生」大正10年12月。
「小学女生」に掲載された初出形では第一連一行目〈はいてた〉→〈はいてゐた〉。第二連二行目〈船に〉→〈汽船に〉。第四連二行・三行・四行目〈考へる/異人さんに逢ふたび/考へる〉→〈思ひ出す/異人さん見るたび/思ひ出す〉である。




  


Posted by 白谷仁子 at 20:51うた音楽企画 湖音ko-onYou Tube野口雨情

2022年04月01日

我が子羽ぐくめ 天の鶴群。。。




  旅人の 宿りせむ野に霜降らば
       我が子羽ぐくめ 天の鶴群


《伊夫岐神社の大椿》




いつだったか、母が目を細めて言っていたことがある。

「いくつになっても我が子はかわいい。その気持ちはちっとも変わらない。自分よりもうんと大きくなって、ずっとしっかりしていても、それでもかわいい。。。」

あの時の母の言葉に託された色とりどりの寂しさは、いま私の心の中であまりにも鮮明だ。







我が子とずっと共にいられることは、決して当たり前ではないのだと知った瞬間があった。
自分の大切なもの全てと引き換えに、我が子の命を願い祈った40日があった。


   旅人の 宿りせむ野に霜降らば
          我が子羽ぐくめ 天の鶴群

椿の実がはじけるように。
母の祈りは遠く、母の祈りは強く、母の祈りは終わりがない。

ただ幸あれと、ただ幸あれと。。。





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Posted by 白谷仁子 at 20:34お花私。。。うた

2020年09月25日

身にしたがふは 心なりけり。。。




 数ならで 心に身をば まかせねど 身にしたがふは 心なりけり
             紫式部








秋には似合わない春色が、なんだかとても新鮮だった。
お砂糖菓子みたいな実のなる木が、「ムラサキシキブ」という名前だと知ってから、秋の楽しみが一つ増えた。

木の名前、花の名前をひとつずつ知るたびに、目の前の道が小さな枝のように伸びて行く。
それがずっと続くと、ふつうに信じていた。

雨の庭は肌寒い代わりに、美しい景色が隠れている。
秋の日、時間の流れに心は素直に添っていく。
   ・・・身にしたがふは 心なりけり・・・と。



  


Posted by 白谷仁子 at 22:03私。。。うた園芸

2020年09月14日

いつまでも いつまでも〜立原道造 鮎の歌「物語」



 僕には、たったひとつわからないことがある。
 時はなぜこのようにくりかえすのか。
 そしてなぜ僕にひきとめれずにすぐ死に絶え流のか。

         立原道造全集第三巻 物語
         鮎の歌「物語」からⅣ






9月になって、2つのコンサートに出かけた。
例年だと、週末は自分のコンサートやリハーサルが入っていて、月に2つのコンサートに出かけることは滅多とない私にとって、自分への良いプレゼントとなった。

6日、木之本スティックホールで開催された「Sous le Ciel de Paris」。
パリに留学されていたピアニスト 横田麻友子さんのお仲間と繰り広げるフランス音楽、日本の歌に、客席が始終引き込まれた。
プログラムも演奏も、流石だった。
コンサート中、4人のトークはパリのお話。。。
短い間だったが、2月にパリに滞在し、リサイタルを開催した私は、ほんのひと時、その空間を幸せな気持ちで共有した。

12日、びわ湖ホール大ホールで開催された「オペラ作曲家の横顔〜ロッシーニ〜」。
3月公演が中止となり、会場を小ホールから大ホールに変えての豪華なコンサートだった。
初期ロマン派のロッシーニのオペラはもちろんだが、宗教曲や合唱曲も大好きな私は心から楽しみにしていた。
お目当はもちろん第二部の「スターバト・マーテル」だった。
第一曲から十曲まで、時間を忘れて音楽と声とピアノを堪能した。





ホールの中にいると、音だけに集中できる。
演奏者である時も、聴衆者の時も、どちらでいても「自分」を鮮明に感じられる空間だ。

びわ湖ホールを後にしながら、耳に残る生きたハーモニーを感じながら思うことは一つだった。
練習を待つコーラスのメンバーを歌わせてあげること。。。

時は繰り返され、取り戻すことができない。
大切な時間は、大切に過ごすことで作られるものなのだということを、忘れてはいけない。





いつまでも いつまでも

いつまでも いつまでも
もしも 僕らが鳥だつたなら
空の高くを 飛んでゐよう
雲のあちらを あごがれながら

いつまでも いつまでも
木の枝にゐて うたつてゐよう
たつたひとつのしらべを
同じ聲で うたつてゐよう

身のまはりで すべてが死に
僕らのうたは 悲しみになる
そして 空は 限りなくとほい

あのあこがれは 夢だつた と
僕らの翼と咽喉は 誣ひるだらう
いつまでも そのあと いつまでも

鮎の歌「物語」からⅢ“いつまでも いつまでも”
       立原道造全集第三巻 物語







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Posted by 白谷仁子 at 11:44コーラス地域活動うた立原道造

2020年04月19日

ただひとつの『笑顔』のために。。。


4月20日は、母のお誕生日。
あと少しで、母は84歳になる。。。


“コーラスに行けなくなったら、死んでまうわ。。。”

母の口癖だった。
母は、2回の骨折入院をさかいに、生きがいだったコーラスに行けなくなった。
最後となったコーラス・ユウスゲの練習日。
いつものようにお迎えに行って、他愛のない会話をしながら公民館についた。この日、母は車椅子で参加した。

「マコ、恥ずかしいから歩くわ。」
公民館の入り口で母は言った。

「いいよ。じぁ、歩こう!」
車椅子の前にまわり、立たせようと母の両脇に手を入れかけた時、「やっぱり、このままでええわ。」と小さな声がかえってきた。
手に残る脇の下のあたたかさと湿気がとても切なくて、私は母の両脇からなかなか手を抜くことが出来なかった。
「コチョコチョ〜!」
悪ふざけをする私に母は笑いながら大きな声で「こらっ!」と言って、とてもとても嬉しそうだった。

母は幸せは人だと思う。
母にとって最後の「社会」と言えるコーラスの中でも、皆にたくさんの優しさをもらった。

昔から、周りの人に惜しげもなく愛情をそそぎ、そして沢山の人に慕われた母。
兄家族には、感謝してもしきれない。

今は、お世話になっているグループホームのみなさんが、母の「もう一つの家族」だ。


私も兄も、いっぱい叱られて、いっぱい愛された。
そして、大人になってもいっぱい喧嘩をした。

母と会えなくなってひと月になる。
思い出すのは、母のふくよかな柔らかい胸と、私に聴かせてくれた歌声ばかりだ。

《兄家族と私からのバースデーケーキ》



お昼頃、グループホームから届いた写真には、もう一つの家族に囲まれた幸せな母の顔があった。
iPhoneごしの小さなスクリーンの中で、私の縫ったエプロンを付けて笑っている母の頬に、人差し指で何度何度も触れた。


今、世界中が家族と暮らす時間について、その大きさは様々ながら色んな思いを巡らせているだろう。
いつかは消えてしまうものだからこそ、その価値は計り知れなく大きい。

母はやがて、私のことを忘れてしまう時が来かもしれない。
私もいつか、そういう時が来るだろう。

だから、
その時が来ても忘れずに残しておきたい、ただひとつの『笑顔』のために、大切な人たちとの時間を、離れていても大切にしたいと思う。

逢えなくても、大切にしたいと思う。。。







  


Posted by 白谷仁子 at 21:36コーラス私。。。うたYou Tube

2020年04月12日

a prayer・・・



梨の花が咲く頃は、高校の授業準備や新年度のコンサート準備に毎年追われていた。
当たり前だった日常が、当たり前ではなくなって
幸福の本当の意味を考える時間が圧倒的に増えた。



《梨 花言葉「愛情」》




1年前、2年前に日常だったことが、今は「願い」「希望」に変わっている。

大切な人たち、名前も顔も知らない、出会ったことのない人も、
みんなみんなに日常の幸福が訪れますように。。。

a prayer・・・







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Posted by 白谷仁子 at 00:25非常勤講師のお仕事うたYou Tube