2023年12月25日
2枚のカード。。。
2枚のカード。
選ぶ時間は永遠でも足りず、
手に取る数も忘れるほど多いのに、
こうして行き場をなくすことが増えて来た。

指先一つで文字を打ち、
指先一つで届いてしまう便利さは、
どんどん人を「ズルく」していく。
送り送られ、
そこにかかる時間と手間は、
送る真心の象徴。
だからこそ、
かたちだけでは書けない心がある。
きっと、
そんなふうだから自分はかわいくない。
だけれど、
行き場をなくしたカードが、
引き出しの中で増えて行くのもまた、
自分らしくていい。

自分のことしか見えないよりは、
遠目で自分をながめている方がずっといい。
自分という他人を見ている方がもっといい。
2023年12月23日
Have Yourself A Merry Little Christmas。。
クリスマスが近づくと、
つい口ずさんでいる。
いつかどこかで聴いた、
少し掠れた声の『Have Yourself A Merry Little Christmas』。
「輝く星を飾りましょう。一番高いところに。」
1944年の映画『若草の頃(Meet Me in St. Louis)』の挿入歌は、
戦争に傷ついた人々の心に優しく染みついていった。
ささやかなクリスマス。
となりのテーブルから聞こえる笑い声。
普通の幸せって何?・・・
そんな問いかけも忘れかけた頃、
ふと思い出す歌。
少し掠れた声の『Have Yourself A Merry Little Christmas』。
Have Yourself A Merry Little Christmas
Ralph Blane 詞/Hugh Martin 曲
Have yourself a merry little Christmas
Let your heart be light
From now on your troubles will be out of sight
Have yourself a merry little Christmas
Make the Yuletide gay
From now on your troubles will be miles away
Here we are as in olden days
Happy golden days of yore
Faithful friends who are dear to us
Gather near to us once more
Through the years we all will be together
If the fates allow
Hang a shining star upon the highest bough
So have yourself a merry little Christmas now
2023年12月22日
長い夜のためのショーソン〜ピアフに。。。
今日、
一番夜が長い日。
外は刺すような冷たい風だけれど、
何もないこんな日に訪れる夜に、
心から「平和」を感じる。

悲しい夜はいくつもあった。
たぶん、
これからも幾度となく訪れる。
だけれど、
過ぎた日の自分よりも、
今の自分を大事にしたい。
長い夜にはショーソンがいい。
ピアフの息が言葉をつくる。
パリ。
ガルニエ内のお店で出会ったピアフのCD。
観光客目当てのものまでが小洒落ている。
長い夜のためのショーソンは ”Mea culpa”
ピアフが歌うと、
「罪」は「罪」でなくなるのだ。。。
そして幸せな私ら聴衆は、
このドラマの中で長い夜を酔うことが許されている。。。

”Mea Culpa” Édith Piaf
J'ai péché par orgueil
De t'avoir tout à moi
Dans un simple clin d'œil
Mea culpa
J'ai péché par envie
De me donner à toi
En te donnant ma vie
Mea culpa
Et puis par gourmandise
Illuminée par l'éclat de tes yeux
J'ai vu ta bouche et je me sentais grise
Car je buvais du feu
J'ai péché par paresse
Quand j'ai connu tes bras
Berceau de mes caresses
Mea culpa
Que ceux qui n'ont jamais péché
Me jettent la première pierre
Que ceux qui n'ont jamais aimé
Me refusent une prière
J'ai péché par colère
Contre toi, contre moi
Contre toute la Terre
Mea culpa
J'ai péché par luxure
Chaque soir, dans tes bras
Mais mon âme était pure
Mea culpa
Et puis par avarice
Je t'ai caché dans le fond de mon cœur
Pour mieux t'y adorer avec délice
À l'abri des voleurs
Ainsi donc, tu le vois
J'ai péché les sept fois
Rien qu'à cause de toi
Mea culpa
Mais un jour
Si tu me le demandais
Oh, mon amour
Je recommencerais
Mea culpa
Mea culpa
(ミッシェル・リヴゴーシュ 詩/コベール・ジロー 曲)
●Mea culpa・・・ラテン語で”私の罪”
2023年12月21日
時は過ぎてゆく。。。
眠ってる間に 夢見てる間に
唄ってる間に 時は過ぎてゆく・・・・

自分の時間を持て余していた頃、
未来の時間はもっと激動的でゆっくり流れると思っていた。
守られる日々から守る日々へと変われり、
思い通りにならないことが「普通」なのだと理解し、
今ある自分の時間は、
自分の努力でしか守られないのだと、
そんな思い込みをしていた頃もあった。
失敗もあった。
別れもあった。
出会いはもう自分からは望まなくなった。
そうしたら、
心地よいものだけが残った。
ブログを書けなくなった日々の中で、
言葉の感性や創造は人それぞれだけれど、
やはりその「それぞれ」が自分にあることにも気付いた。
言葉の風景は絵の風景。
2024。
新しい年のために。
流れゆく時のために。
心の絵の風景を呼び覚ますために。

時は過ぎてゆく
ジョルジュ・ムスタキ(日本語詞 古賀力)
眠ってる間に 夢見てる間に
時は流れ 過ぎてゆく
子供の頃は もう夢の中
時は時は 今も過ぎてゆく
あなたの愛に 溺れている間に
時ははかなく 過ぎてゆく
お前は可愛いい あの言葉も
あなたさえも 今は遠い夢
眠ってる間に 唄ってる間に
自由な時は 行ってしまった
戦いの中 傷つきながら
時は時は 今も過ぎてゆく
それでも私は 歌に生きる
それでも私は 愛に生きる
私は唄う あなたの為に
時は時は あまりに短い
眠ってる間に 夢見てる間に
唄ってる間に 時は過ぎてゆく・・・・
2023年03月26日
一週間前の今日、今、コンサートが始まった。。。
Ma rendi pur contento
Della mia bella il core
E ti perdono,amore,
Se lieto il mio non è.
それでも、あの人の心を喜ばせてあげて下さい。
私の大切なあの人の心を
たとえ私が幸せでなくとも
愛の神よ、私はあなたを許せます。
Ma rendi pur contento〜BELLINI

撮影 スタジオ・エコール
イタリアのボローニャと日本の滋賀米原市の距離は9,544㎞。
電話ではほんの少しのタイムラグで、まるですぐ向かいに互いがいるように話をできる。
昨年の秋に決めたリサイタルから5ヶ月、じゅうぶんとは言えないが、パートナーと準備を重ねてきた。
訪れてくださるお客様と、音楽を共有できる時間を「忘れられない時間」にするために。

一部
イタリアの音楽は、それがたとえ悲しみを歌ったものであっても「幸せ」がある。
人が歌い、音楽を表現する喜びがどういうものなのか、学生の頃とは違った受け止め方ができるのは、長く歌ってきたご褒美かもしれない。

イタリア暮らしが長いカオリ(共演者の鈴木カオリさん)とは、長い長い付き合いだが、こうして共演したのは初めてだった。
私が生まれ育った地で、日本の歌曲を愛し歌い続けて来た時間、カオリはイタリアで学び、今は歌劇場でマエストロ・コッラボラトーレをするまでになった。

二部
もしも私が、望んでヨーロッパの地で必死に勉強していたら、今頃どんな風になっていただろう。
納得のできる歌い手になっていたか、それとも挫折してしただろうか、、、
開演の間際に、そんなことをふと考えた。

二部 椿姫「さようなら、過ぎ去った日よ」ヴェルディ
お互いに認め合っているからこそ、楽しめるコンサートだったし、必死で取り組めた。
初めての試みだった歌詞のテロップ投影。
照明の色や演出に何時間も時間をかけた。
チラシやプログラムも演出も、カオリや仲間といつもお客様のことを考えて、作り上げたコンサートだった。

アンコール「猫の二重唱」ロッシーニ
Gli affanni suoi pavento
Più degli affanni miei,
Perché Più vivo in lei
Di quel ch'io vivo in me.
私は自分の苦しみより、あなたの苦しみの方が心配だからです。
なぜなら、私はあなたの中に生き続けるからです。
自分のこと以上に あなたのことを。

一週間前の今日。
コンサートが始まった。
2023年01月21日
コンサートのお知らせ!「イタリア〜流れる旋律と愛の言葉」
3月19日、米原市ルッチプラザ ベルホール310にて、サイタル「イタリア〜流れる旋律と愛の言葉」」を開催します。
今回、私をサポートしてくれるピアニストは、イタリアのボローニャ・フェッラーラ他の歌劇場でマエストロ・コッラボラトーレとして仕事をする鈴木カオリさんです。


いまや「大切な、そして頼りになる友人」ともいえる元教え子のカオリさんとは、かれこれ30年ほどの付き合いとなりますが、ステージで共演するのは今回が初めてです。
30年前、私のレッスン室で一緒に学んだイタリア古典歌曲からロマン派歌曲、そしてカオリさんの本業であるオペラのアリアまで。
今、最高に楽しい「とき」を共に過ごせています。
マエストロ・コッラボラトーレというお仕事は、単にピアノの伴奏をするだけでなく、歌手への指導や、時には発声指導もします。
久しぶりにイタリア語の歌を歌うことになり、カオリさんからのアドヴァイスは私にとって新鮮で、また声楽家としての新たな財産にもなっています。
今回のリサイタルは私にとって3年ぶりです。
3年という月日、それはは音楽・歌に対する様々な思いを静かに振り返る「とき」でもありました。
その間も、音楽活動を続けてこれたことは、地域や仲間、ホールスタッフの皆様に支えられていたからこそと、今改めて思います。
3月19日(日)、イタリアの音楽、お話を楽しんでいただくだけでなく、これから音楽家を目指す学生さんにも、一つの刺激となれば嬉しく思います。
2023年01月11日
シャンパン色の空。。。
シャンパン色の空がきれいだったから、
少しゆっくりと車を走らせた。
琵琶湖の空はオレンジ色なのに、
反対側の空はやさしいグラデーション。

今まで数えきれないほど見た美しい空には、
一つ残らずあった。
私だけのタイトルが。
嬉しい空も、
寂しい空も、
”見せてあげたい。”
”一緒に見たい”
そう思える自分のことが好き。
今年はいくつのタイトルが生まれるだろう。。。
2022年12月31日
2022年の私へ。。。
いつも自分に正直でいたい。
物も、人も、音楽も、ずっと直感で生きて来た。
華美な言葉に惑わされて、錆びついていく感性は、いつも誰かが魔法のように優しく磨いてくれた。。。
パリから戻ってすぐ、急に世界が窮屈な波に覆われて、仕事だけでなく心の中まで影響を受けていった。
3年が経とうとするこのごろ、ようやく本来の自分が戻って来たような気がしてならない。
2022年は、私にとって忘れられない年になった。
手塩にかけて育てた娘が嫁ぎ、それを見届けるのを待っていたかのように一週間後、最愛の父が天国へ旅立った。

「幸福」というものがどういうことなのか、言葉で言い尽くすことなどできないことを、この歳になって学んだ。
別れがあれば出会いがある。
父が導いてくれたように、新しい世界が広がっていく。
新しいこと・・・正しくは、諦め掛けていたことにまた、取り組もうと思えるきっかけは、きっと父からのプレゼント。
ピアノの蓋を開けて歌い始めるとすぐに、新しい課題がうまれる。
まるで自分を自分がレッスンしているように。
あと何年うたえるだろう。
そんな頃を考えると、胸がチクリと痛む。
この世にある歌を、歌い尽くすことは到底無理だとわかっている。
でも、諦めたくない。
私は欲張りなのだ。
その上、私は超絶ポジティブなのだ。
2023年、春の声を聞く頃に、私のホームグラウンド「米原市ルッチプラザベルホール」で4年ぶりのリサイタルをルッチプラザとの共催で開催することになった。
新しい自分を発見する旅は、これからも続く。
2022年に、そして愛する全ての人に感謝をこめて。。。
2022年09月30日
秋の空と私の心。。。
知らない間に秋になり
空も庭の花たちも
間近の冬を手招きしている
《水葵 花言葉「前途洋々」》
朝一番の空気の味が変わってくると
何かがわくわくこみ上げて来る
それが楽しみなのか
気ぜわしさなのか
自分でもよくわからないのだけれど
とにかく
元気が出てくるのだ
一日一日を大切に生きていても
365日を全て記憶することはできない
木々や花や
星や月に自分をリンクさせると
不思議なほど気持ちよく心が整う
遠い春や
過ぎた夏は
すべてこの秋のために存在したのだと

知らない間に秋になり
空も庭の花たちも
そして私も
間近の冬を手招きしている
2022年09月21日
「ごちそう」の意味。。。
真剣に向き合う。
楽譜の中の音符を一音ずつ丁寧にたどるように。
食材に真剣に向き合って丁寧に人の手を加えると、
極上の”ごちそう”になる。

お芋掘りの時にコロコロと、
土に隠れそうな小さなお芋たちが転がる。
大事に持ち帰って、3番絞りのごま油でカラリと素揚げ。
お塩はこだわって選んでいる岩塩。
表面はカリカリで、中はほっこりして甘い。
こんなごちそうって、どこにあるんだろう。
おばあちゃんの手が「おいしいね。おいしいね。」と何度も伸びる。
とりたての野菜を丁寧に洗って、丁寧に切って、丁寧に水分を拭き取り、そして丁寧に揚げる。
本当のごちそうは、豪華な食材を並べることではなくて、手間をかけること。

吟味して選んだ苗を丁寧に育て、大きくなるまで愛情をかける。
美味しくなるため、食材も目一杯頑張っている。
それを手助けしるのは育てる人たち。
雨の日も風の日もお休みはない。
最後の最後、手を入れる大切なお仕事が”料理”。
だから・・・
真剣に向き合う。
楽譜の中の音符を一音ずつ丁寧にたどるように。
食材に真剣に向き合って丁寧に、丁寧に。
極上の”ごちそう”にするために。。。