2022年09月15日
薔薇の花に心をこめて。。。
お花屋さんで見つけた薔薇は、
見たことのないサーモンピンクで、
多分、お店に入った時からそれ以外は見えていなかった。
ちっとも薔薇らしくないその子を、
たった1輪だけ買った私。
何年か経った今も、
ピアノの上の透明なフレームの中で咲き続けている。
大切な思い出の真ん中には、
いつも花があった。
自分で買ったはじめての薔薇は、
香りゆかしい音楽のような薔薇だった。。。
薔薇の花に心をこめて
詩 大木惇夫
曲 山田耕筰
薔薇よ薔薇
薔薇の花ささげまつる
地の上に香りて浄く
いと美わしき花なれば
薔薇よ薔薇
大空の御光ありて
薔薇よ薔薇
薔薇の花ささげまつる。
2022年09月05日
人が歌うこと。。。
「私たちが何気無く、ともすれば気づかないうちにしているハミングや鼻歌は、いつ頃、どんな民族から始まったのだろう。」
《8月28日concertパリ旅情ウエルカムコンサートby ラ・ルミエール》

「誰に聴いてもらうでもなく、大抵は一人でいる時間に無意識に出てくるハミングは、人間がどんな心理の時に出てくるのか、また、人間の発声の中で一番自然で美しいと言われる鼻歌を口ずさむ時、体は、声帯はどのような状態なのだろうか・・・。」
そんな疑問を持ちつつ、大学を出てから35年近く携わった様々な仕事の中で、またそこで出会った人たちと関わる中で、少しずつだけれど見えて来たものがある。

音楽の力、歌の力は未知なものだ。
丸一日話したところで心理など伝えることはできない。
人と人とを繋ぎ、ある時は病を癒し、歌う時に働く脳の深い部分は、私たちが「命の危険」を察知する部分と同一であると書かれた著書もある。
「歌う」ことは、単に楽しみや娯楽ではなく、紀元前から人間の心身が進化してきた経過にとって、とても重要であることは間違いない。

ルネサンス以降、バロック、古典派、ロマン派と、音楽が芸術として捉えられるようになってから、まだ500〜600年しか経っていないけれど、その歴史は全く揺るぎなく現代に伝えられている。そして楽の歴史は、塗り替えられていない。
日常、歌が生活の一部としてあるような人が、ある日突然「コーラスはいけません。」と言われる。
その時、歌えないことよりも、歌ってはいけないと強いられることに違和感や戸惑いをおぼえる人の方が多かったのではないだろうか。
歌を本業にしている人でも、事情で一週間、1ヶ月・・・と歌えないことはある。
だけれど人は、「歌ってはいけない」と強いられることで、それがたとえ1日でも、とても苦しい。
歌うことは、人間にとって「大切」とか「必要」とか以前に、ただただ「自然」なことなのだ。
お茶を飲んだり食事をしたり、誰かが恋しくなったり眠くなったり、泣いたり笑ったり・・・当たり前のことなのだ。
コロナ禍の中、コンサート活動やコーラス活動は、気をつけなくてはならないことがたくさんある。
止むを得ず自粛期間を置かねばならない時もあるかもしれない。
でも、人間はこれまで気の遠くなるような時空を自然とかかわりながら超えて来た。
その自然の中の一つが歌、音楽と考えると、私たちは時間の流れに逆らうことなく、心と頭の声を聞きながら、信じるものが導くほうへ歩いていくことが、今できる最大のことのように思える。
ここに述べたことは私のおもいの、ほんのひとかけらにすぎないけれど、私が代表をしている2つのコーラスグループ「コーラス・ユウスゲ」と「ラ・ルミエール」の最大のテーマかもしれない。
助け合い、支え合い、いつも前を向いていること。
人と人が繋がり生きていく上で最も大切なことを、世代の異なる2つのグループから私は教えられている。

文化産業交流会館でのウエルカム・コンサートは2回目。
地域のホール、施設はどこもあたたかくて親切だ。
快く承諾し、新たなスペースの準備もしてくださったことに、感謝は尽きない。。。
●ウエルカムコンサート プログラム●
『誰にも言わずに』から
詩 金子みすゞ 曲 相澤直人
・露
・このみち
・私と小鳥と鈴と
・色紙
シャローム ダン・フォレスト
来年2023年9月、ラ・ルミエール第1回定期演奏会を米原市ルッチプラザで開催します!!!。
《8月28日concertパリ旅情ウエルカムコンサートby ラ・ルミエール》

「誰に聴いてもらうでもなく、大抵は一人でいる時間に無意識に出てくるハミングは、人間がどんな心理の時に出てくるのか、また、人間の発声の中で一番自然で美しいと言われる鼻歌を口ずさむ時、体は、声帯はどのような状態なのだろうか・・・。」
そんな疑問を持ちつつ、大学を出てから35年近く携わった様々な仕事の中で、またそこで出会った人たちと関わる中で、少しずつだけれど見えて来たものがある。

音楽の力、歌の力は未知なものだ。
丸一日話したところで心理など伝えることはできない。
人と人とを繋ぎ、ある時は病を癒し、歌う時に働く脳の深い部分は、私たちが「命の危険」を察知する部分と同一であると書かれた著書もある。
「歌う」ことは、単に楽しみや娯楽ではなく、紀元前から人間の心身が進化してきた経過にとって、とても重要であることは間違いない。

ルネサンス以降、バロック、古典派、ロマン派と、音楽が芸術として捉えられるようになってから、まだ500〜600年しか経っていないけれど、その歴史は全く揺るぎなく現代に伝えられている。そして楽の歴史は、塗り替えられていない。
日常、歌が生活の一部としてあるような人が、ある日突然「コーラスはいけません。」と言われる。
その時、歌えないことよりも、歌ってはいけないと強いられることに違和感や戸惑いをおぼえる人の方が多かったのではないだろうか。
歌を本業にしている人でも、事情で一週間、1ヶ月・・・と歌えないことはある。
だけれど人は、「歌ってはいけない」と強いられることで、それがたとえ1日でも、とても苦しい。
歌うことは、人間にとって「大切」とか「必要」とか以前に、ただただ「自然」なことなのだ。
お茶を飲んだり食事をしたり、誰かが恋しくなったり眠くなったり、泣いたり笑ったり・・・当たり前のことなのだ。
コロナ禍の中、コンサート活動やコーラス活動は、気をつけなくてはならないことがたくさんある。
止むを得ず自粛期間を置かねばならない時もあるかもしれない。
でも、人間はこれまで気の遠くなるような時空を自然とかかわりながら超えて来た。
その自然の中の一つが歌、音楽と考えると、私たちは時間の流れに逆らうことなく、心と頭の声を聞きながら、信じるものが導くほうへ歩いていくことが、今できる最大のことのように思える。
ここに述べたことは私のおもいの、ほんのひとかけらにすぎないけれど、私が代表をしている2つのコーラスグループ「コーラス・ユウスゲ」と「ラ・ルミエール」の最大のテーマかもしれない。
助け合い、支え合い、いつも前を向いていること。
人と人が繋がり生きていく上で最も大切なことを、世代の異なる2つのグループから私は教えられている。
文化産業交流会館でのウエルカム・コンサートは2回目。
地域のホール、施設はどこもあたたかくて親切だ。
快く承諾し、新たなスペースの準備もしてくださったことに、感謝は尽きない。。。
●ウエルカムコンサート プログラム●
『誰にも言わずに』から
詩 金子みすゞ 曲 相澤直人
・露
・このみち
・私と小鳥と鈴と
・色紙
シャローム ダン・フォレスト
来年2023年9月、ラ・ルミエール第1回定期演奏会を米原市ルッチプラザで開催します!!!。
2022年09月04日
コンサートから一週間。。。
コンサートから一週間が経った。。。
《こだわりのコンサートプログラム》

演奏の場は、その隅々が自己表現であって、イメージから企画、パートナーとのコミュニケーション、チラシ・プログラム、当日の張り紙まで、そこに集まる人たちと時間を共にすることだけに気持ちを集中させてきた。
プログラムへのこだわりもその中の一つ。
Photo:スタジオエコール
「失敗したくない」、「ドレスは何色?」、「ヘアスタイルはどうしよう・・」若い頃はそんなことばかり考えていた。
今はコンサート前後の数日間がイメージできているかいないかが何より大切で、それによってステージでのmotivationが決まるようになって来た。
・・・コンサート「パリ旅情」プログラムから・・・
フランスの音楽に憧れを抱き始めたのは、30年近く前のことでした。ポー ル・ヴェルレーヌの詩とガブリエル・フォーレの幻想的な歌曲の世界の虜に なった私は、様々な歌手によるフォーレの歌曲を聴きあさるうちに、自身で も歌いたいという強い思いを持つようになりました。日本語、イタリア語、 ドイツ語など、他国の言葉と音楽との融合は、まだ学生だった私の日常に億 のエッセンスを与えてくれましたが、大学を卒業してから取り組んだフラン ス歌曲は、別の意味で「自分の中に眠っていた音楽」を呼び覚ませてくれた のです。フランスをテーマにしたコンサートを企画する中で、憧れはますま す募り、その思いと麻友子さんのお誘いが、2020年2月、私をパリへと旅 立たせました。 パリの文化に憧れる人、パリの風景に魅了される人、日本でもたくさんの人 がそれぞれにパリという国を愛し続けています。今回のコンサートで選んだ 「パリ旅情」の詩人、深尾須磨子氏は、49歳の働き盛りに仕事で何度もパ リを訪れていました。その20年後、1957年69歳の時には、プライベート で1年間パリに暮らし、「パリ横丁」というエッセーと詩を書きました。2 年後に本が発行された直後、それを待っていたかのように8つの詩を選び、 歌曲「パリ旅情」を作曲したのが高田三郎です。時代は変わっても変わるこ とのない「人が何かを愛する気持ち」を、今日は「パリ旅情」を通し表現し たいと思っています。
、10年後に再びパリを訪れ、詩人と同じ年頃の私が早朝のセーヌ川辺りを ゆっくりと歩く姿が、私にははっきりと見えるのです。
麻友子さんと出会った頃、彼女はまだ学生さんで、真剣に音楽に向き合う健気で可憐な姿に惹かれたことをよくおぼえている。
それから何度か共演を重ね、パリで共演した時は、親子ほど年の違う私を見事にサポートし素晴らしいピアノで歌わせてくれた。
今回、プログラム後半のドビュッシー 版画「塔(パゴダ)」「グラナダの夕べ」「雨の庭」 は、その音の美しさについて、コンサート後たくさんのお客様から感動の声をいただいた。
「これからは好きに歌わせて欲しい!」
こんなトークに、会場は優しく笑いを乗せてくれた。
ある時から、既製品のような歌からはもう卒業したいと思った。
何が正しいのか、空の上の作曲家には聞けない。
残されたのは楽譜だけ。
そこから何を読み取ってどう表現するかで、演奏家の実力がわかる。
まだまだ勉強。
一生勉強。
きっとお空に昇っても勉強。。。
●お礼●
コンサート「パリ旅情」に足を運んでくださったお客様、立ち上げから終演までンサートのお手伝いをしてくださったスタッフのみなさま、文化産業交流会館のみなさま、コンサート前のウェルカム・コンサートで少ない人数ながら綺麗なハーモニーを披露してくれたラ・ルミエールのメンバー、そしてどんな時も白谷仁子を励まし勇気付けてくれる心の友達に、心から感謝いたします。
ありがとうございました。 続きを読む
2022年08月29日
コンサート「パリ旅情」を終えて。。。
出会いと別れを繰り返すのが人生・・・
ずいぶん前に、そんな手記を読んだことがある。
その頃は、その新鮮なフレーズが心に響いた。
だけれど今は、そんなありきたりのフレーズには何の魅力すら感じない。
その重みは言葉にすると即座に軽い風船みたいになってしまう。
バイロンの”Truth is stranger than fiction.”(事実は小説より奇なり。)
あまりにも有名なこの言葉通り、真実は心にしかない。
言葉にすればするほど、真実は「嘘」にすり替わっていく。

Photo:スタジオエコール
詩を持つ歌は、そのことをよく知っている。
だから取り憑かれると離れられなくなる。
離れられずに、星の数ほどある人生の中で、ずっと出会いと別れを繰り返す。。。
ずいぶん前に、そんな手記を読んだことがある。
その頃は、その新鮮なフレーズが心に響いた。
だけれど今は、そんなありきたりのフレーズには何の魅力すら感じない。
その重みは言葉にすると即座に軽い風船みたいになってしまう。
バイロンの”Truth is stranger than fiction.”(事実は小説より奇なり。)
あまりにも有名なこの言葉通り、真実は心にしかない。
言葉にすればするほど、真実は「嘘」にすり替わっていく。
Photo:スタジオエコール
詩を持つ歌は、そのことをよく知っている。
だから取り憑かれると離れられなくなる。
離れられずに、星の数ほどある人生の中で、ずっと出会いと別れを繰り返す。。。
2022年08月16日
夏の終わりを告げる花。。。
お父さん
眩しいほどの白い花が見えますか?
空に届きそうな白い輝きが
お父さん
空の上からみえますか?
《サルスベリ(百日紅)花言葉「あなたを信じます」》

6月、まだ朝晩の風がここちよく涼しい頃、父はお空へ旅立った。
病院の救急病棟で、眠っているようにしか見えない父と、頰をぴったりとくっつけて「ありがとう。」と1回だけ、心をこめて言った。
父の皮膚と私の皮膚が、同化した瞬間だった。
その日から54日、さまざまなシーンを印象付けるように花があった。
クチナシ、ハス、サルスベリ・・・
木々を愛し、庭を愛し、手を加え世話をする労を惜しまなかった父。
その心がようやく分かる歳に私もなった。
仕事人間だったはずの父だったが、思い出はあまりにも多すぎて、毎晩一つずつ思い返していては、とても私の人生が足りない。
父が愛してくれた数は、これからもずっと永遠に増え続ける。
夏の終わりを告げるように、サルスベリが最後の力をふりしぼってはなびらを広げる頃、風は少しづつ涼しさを増す。
8月の日差しは花の白をいっそう際立たせる。

お父さん
眩しいほどの白い花が見えますか?
空に届きそうな白い輝きが
お父さん
空の上からみえますか?
2022年06月29日
無になり 空になり。。。
私の孤独は 透明体になり
無になり 空になり
〜深尾須磨子「冬の森」から (パリ旅情)

まだ2年しか経っていないのか・・・と、2020年2月のパリの空を思い出すたびに感じる。
自宅に帰り着いた時、パリへ行っていたとは言えないような独特の空気に日本は包まれていた。
得体の知れない恐怖と、「パリが歌いおさめなんて、洒落ているよね。」なんて諦めに近い気持ちがザワザワと胸に押し寄せて、ちゃんと眠れない夜が続いた。
そんな中でも、いくつかのコンサートや歌の仕事が続けてこれたことが、今では奇跡のようにも思えるのだ。
PCR検査を受けていても、コンサートの後2週間は怖くてこわくて、神棚に祈る毎日だった。
「こんな時期に歌うなんて、コンサートなど非常識。」
「音楽などなくても、生きることに何も困らない。」
そんな言葉が耳に、目に入るたびに心の葛藤は膨らみ、涙した。
自分にとってではなく、人間にとって音楽というものがどういうものなのか、言葉にならない活字が頭の中をグルグルまわった。
でも、誰にも、何も言えなかった。
もしも自分が音楽をしていなかったら、同じことを言っていたかもしれないからだ。
「お父さんがね、今日も ”最高や、もういつ死んでもええわいー” なんて言うんよ。」
コンサートの直後、電話をする度、いつも母がこう言って笑っていた。
父は、自分が娘の歌を聴くのと同じくらい、その歌を聴いて笑顔で帰っていくお客さんの姿を見るのが好きだった。
音楽とは、歌とはどういうものなのか。
なぜ人は歌うのか。。。
言葉にならない活字は、父の横顔と共に私の心の中で少しずつ透明になっていくだろう。

◆お問い合わせ
090-4300-9616
koon.msk@gmail.com(白谷)
*******************************
6月24日、父が天寿を全ういたしました。
生前、コンサートの会場などではたくさんの方々に優しいお言葉をかけていただき、感謝申し上げます。
私に音楽の道を授けてくれた父、努力を惜しまないその生き方を最後まで示し続けてくれた父を誇りに、今まで以上に研鑽を積み、心の音楽をみなさまに届けていけるよう努力してまいります。
どうか、これからも声楽家 白谷仁子を見守っていただきますよう、よろしくおねがいいたします。
白谷仁子
続きを読む
無になり 空になり
〜深尾須磨子「冬の森」から (パリ旅情)

まだ2年しか経っていないのか・・・と、2020年2月のパリの空を思い出すたびに感じる。
自宅に帰り着いた時、パリへ行っていたとは言えないような独特の空気に日本は包まれていた。
得体の知れない恐怖と、「パリが歌いおさめなんて、洒落ているよね。」なんて諦めに近い気持ちがザワザワと胸に押し寄せて、ちゃんと眠れない夜が続いた。
そんな中でも、いくつかのコンサートや歌の仕事が続けてこれたことが、今では奇跡のようにも思えるのだ。
PCR検査を受けていても、コンサートの後2週間は怖くてこわくて、神棚に祈る毎日だった。
「こんな時期に歌うなんて、コンサートなど非常識。」
「音楽などなくても、生きることに何も困らない。」
そんな言葉が耳に、目に入るたびに心の葛藤は膨らみ、涙した。
自分にとってではなく、人間にとって音楽というものがどういうものなのか、言葉にならない活字が頭の中をグルグルまわった。
でも、誰にも、何も言えなかった。
もしも自分が音楽をしていなかったら、同じことを言っていたかもしれないからだ。
「お父さんがね、今日も ”最高や、もういつ死んでもええわいー” なんて言うんよ。」
コンサートの直後、電話をする度、いつも母がこう言って笑っていた。
父は、自分が娘の歌を聴くのと同じくらい、その歌を聴いて笑顔で帰っていくお客さんの姿を見るのが好きだった。
音楽とは、歌とはどういうものなのか。
なぜ人は歌うのか。。。
言葉にならない活字は、父の横顔と共に私の心の中で少しずつ透明になっていくだろう。

◆お問い合わせ
090-4300-9616
koon.msk@gmail.com(白谷)
*******************************
6月24日、父が天寿を全ういたしました。
生前、コンサートの会場などではたくさんの方々に優しいお言葉をかけていただき、感謝申し上げます。
私に音楽の道を授けてくれた父、努力を惜しまないその生き方を最後まで示し続けてくれた父を誇りに、今まで以上に研鑽を積み、心の音楽をみなさまに届けていけるよう努力してまいります。
どうか、これからも声楽家 白谷仁子を見守っていただきますよう、よろしくおねがいいたします。
白谷仁子
続きを読む
2022年05月18日
手紙。。。
「筆まめ」という言葉がある。
パソコンやタブレット、携帯電話でメールが送れるようになって、ペンと便箋で手紙を書く人は少なくなっただろう。
友達同士、仕事の同僚、恋人同士、そして家族。
面と向かって言えないことは、メールやラインなど、可愛いスタンプや絵文字でデコレーションすることで、解決はうんとスピード化した。
先日、化粧台の引き出しを整理していたら、母からの手紙がいっぱい出てきた。
大学時代に、お米など食料品の荷物に入っていたものから、お誕生日ごとに渡してくれた手紙など、35年間貯めたものは相当の数だった。
「書く」ことが好きだった母の影響で、私も手紙を書くのが好きだ。
コンサートの案内状も、その人の顔を思い浮かべながら書くのが楽しかった。
夜遅くまで、便箋を選びながら1通ずつ書く私を見て、娘たちは「お母さん、筆まめやね・・・」とよく言っていた。
手紙は、相手に届くまでのドキドキと、返事が来るまでのワクワクする時間が良い。
メールやラインのように一瞬で行き来する無言の会話とは違うのだ。
今から100年以上も前、異国の想いびとに何週間もかけて手紙を送り合う男女の「心のやりとり」に、今心打たれるのは、世の中の変化と、人間の変化に少々疲れているからかもしれない。
プリヤンバダ・デーヴィーと岡倉寛三
『愛の手紙〜宝石の声なる人に』
大岡信 編訳
岡倉寛三(岡倉天心)【1863-1913】は、東京藝術大学の設立に高家した日本の思想家・文人。
ニューヨークで『茶の本』を英語で出版。
ブリヤンバダ・デーヴィーは、インドの女性詩人。
100年以上も前の、たった1年の愛のカタチは、『手紙』だった。。。
2022年04月20日
Happy birthday dear Mama
「今までで一番よかった。今度はいつ?」
コンサートが終わった翌日、母は必ずこう聞いた。
歌が大好きで、炊事をしていても掃除をしていても、母はいつも歌っていた。
高校の時に声楽家を夢見て、コンクールや地域の大きなイベントには必ず呼ばれて歌っていたと祖母から聞いていたが、母は声楽家にはならなかった。
「才能も無いし、あんたみたいに度胸がなかった。」
と、母はよく言っていたが、おそらく私よりも母の方がずっと才能があったはず。
それに母は本当に頭の良い人だった。
商家だった母の実家は、間口は狭いが奥にとても長い町家で、私はその「おやもと」に泊まりに行くのが何よりも楽しみだった。
「お前のお母さんは、100点ばっかとってきたぞ、お前も一番になれよ。」
夜になると祖母の布団に潜り込み、こんな話を聞きながら『おばあちゃんのあたたかなにおい』の中で眠りに落ちた。
「ひろちゃん(母)は賢い子でべっぴんやったよ。級長ばっかやっとったに!」
祖母だけでなく、商店街の駄菓子屋のおばさんにもこんなことを言われ、自分の知らない母の話に少し違和感を感じていた。
なぜなら、母は典型的な専業主婦で、私は「勉強しなさい」と言われたことは一度もなく、「勉強」「競争」とは無縁に、べったりと母に甘えさせてもらって育ったからだ。
声楽家になりたいと言った時、母はとても心配し、体が楽器であることの大変さをよく聞かされた。
多分、東京の音楽大学を受験する直前に体をこわし、やせ細り視力を失いかけ、音大行きを断念した自分のことを思い出していたのだろうと思う。
どんな未熟な歌でも、母はいつも「あんたの歌が私は一番すき!」といって、良いところばかりを何度もなんども繰り返し伝えてくれた。
それは大学を出てからも同じだった。
コンサートはいつも、娘を一番よく見ることのできる場所を選んで座っていた。
「お母様、いつも特等席で聴いてらっしゃいますね。」
意味ありげに笑いながら言う人もいた。
でも仕方がない。母は私の一番のファンなのだ。
共演者への心遣いも欠かさず、そしてコンサートが終わると目立たないようにそそくさと帰っていく・・・
そんな母の心が愛おしかった。
「お父さんが、あんたのコンサートの後いつも”幸せや!もう死んでもええわい”って言っとるよ。」
ここ数年、思うように活動ができない間、母のこんな言葉をよく思い出していた。
父と母の姿を客席に見ることが出来なくなって数年が経った。
それでもその姿を探す習慣は、いまだに無くならない。
父と母を会場に連れてこれるギリギリのところまで頑張ってくれた兄が、いまは両親の代わりに聴いてくれている。
会場に来てくださるすべての方に思いを届けようと歌い、演奏することお大切さを、私は両親から教わった。
母のお誕生日プレゼントは真っ赤な苺。
そして、次のコンサートへのスタートをきった記念の写真。。。
”Happy birthday dear Mama”
続きを読む
2022年04月10日
詩人 野口雨情 生誕140年に寄せて。。。
今年、2022年5月29日は、童謡・民謡詩人である野口雨情の生誕140年にあたります。
2013年、CD「白谷仁子 日本の歌シリーズ 野口雨情の童謡と民謡 “やがて土に”」(piano 竹中直美)が完成し、多くのステージで雨情の童謡・民謡を歌ってきました。
野口雨情の詩の世界と私。
この節目のときに、また新たな気持ちで、「やがて土に」という雨情の言葉と向き合って見たいと思います。

私が北茨城市磯原に訪れたのは2011年1月27日、震災の起こる43日前の事でした。
そしてその日は、詩人〈野口雨情〉の命日でした。
その日、野口雨情生家を訪れた私は、その落ち着きある佇まいに、何か『懐かしさ』のようなものを感じました。生家の2階の窓から見える海を眺めていた私の目の前を、大粒の雪が舞い始めた頃には、もうすっかり雨情の童謡・民謡の世界に引き込まれていました。
思えば、物心付いた時から雨情の童謡は私にとって、とても身近なものでした。
それは特別誰かに習ったわけでもなく、ただ、毎日のように家のどこからか聴こえてくる母の歌声が、私と雨情との出会いを作ってくれたのです。
ある時は足踏みミシンの「カタカタ・・」という音と共に、ある時はまな板の「トントン」という音と共に。
時折夕暮れ時に聴こえてきた母の歌う《赤い靴》は、私を言いようのない寂しさで包み込みました。
物悲しいメロディーにのせて歌われる、「いっちゃった」というフレーズは、子供心に『戻れない』『引き返せない』という、深い悲しみを感じさせました。
私が、赤い靴を履いていたきみちゃんという女の子が実在していたという事、そしてこの歌にまつわるエピソードを知ったのは、ずっと後になってからの事でした。
不思議なのは、幼い私が耳にした母の歌う《赤い靴》の印象は、その事を知った大人になった今も、全く変わらないということです。
〜 CD「白谷仁子 日本の歌シリーズ 野口雨情の童謡と民謡 “やがて土に”」から〜
赤い靴
『青い眼の人形』から
赤い靴 はいてた
女の子
異人さんに つれられて
行つちゃった
横浜の 埠頭から
船に乗つて
異人さんに つれられて
行つちゃった
今では 青い目に
なつちやつて
異人さんのお国に
ゐるんだらう
赤い靴 みるたび
考へる
異人さんに逢ふたび
考へる
「小学女生」大正10年12月。
「小学女生」に掲載された初出形では第一連一行目〈はいてた〉→〈はいてゐた〉。第二連二行目〈船に〉→〈汽船に〉。第四連二行・三行・四行目〈考へる/異人さんに逢ふたび/考へる〉→〈思ひ出す/異人さん見るたび/思ひ出す〉である。
2022年04月01日
我が子羽ぐくめ 天の鶴群。。。
旅人の 宿りせむ野に霜降らば
我が子羽ぐくめ 天の鶴群
《伊夫岐神社の大椿》

いつだったか、母が目を細めて言っていたことがある。
「いくつになっても我が子はかわいい。その気持ちはちっとも変わらない。自分よりもうんと大きくなって、ずっとしっかりしていても、それでもかわいい。。。」
あの時の母の言葉に託された色とりどりの寂しさは、いま私の心の中であまりにも鮮明だ。

我が子とずっと共にいられることは、決して当たり前ではないのだと知った瞬間があった。
自分の大切なもの全てと引き換えに、我が子の命を願い祈った40日があった。
旅人の 宿りせむ野に霜降らば
我が子羽ぐくめ 天の鶴群
椿の実がはじけるように。
母の祈りは遠く、母の祈りは強く、母の祈りは終わりがない。
ただ幸あれと、ただ幸あれと。。。

続きを読む