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2020年04月19日

ただひとつの『笑顔』のために。。。


4月20日は、母のお誕生日。
あと少しで、母は84歳になる。。。


“コーラスに行けなくなったら、死んでまうわ。。。”

母の口癖だった。
母は、2回の骨折入院をさかいに、生きがいだったコーラスに行けなくなった。
最後となったコーラス・ユウスゲの練習日。
いつものようにお迎えに行って、他愛のない会話をしながら公民館についた。この日、母は車椅子で参加した。

「マコ、恥ずかしいから歩くわ。」
公民館の入り口で母は言った。

「いいよ。じぁ、歩こう!」
車椅子の前にまわり、立たせようと母の両脇に手を入れかけた時、「やっぱり、このままでええわ。」と小さな声がかえってきた。
手に残る脇の下のあたたかさと湿気がとても切なくて、私は母の両脇からなかなか手を抜くことが出来なかった。
「コチョコチョ〜!」
悪ふざけをする私に母は笑いながら大きな声で「こらっ!」と言って、とてもとても嬉しそうだった。

母は幸せは人だと思う。
母にとって最後の「社会」と言えるコーラスの中でも、皆にたくさんの優しさをもらった。

昔から、周りの人に惜しげもなく愛情をそそぎ、そして沢山の人に慕われた母。
兄家族には、感謝してもしきれない。

今は、お世話になっているグループホームのみなさんが、母の「もう一つの家族」だ。


私も兄も、いっぱい叱られて、いっぱい愛された。
そして、大人になってもいっぱい喧嘩をした。

母と会えなくなってひと月になる。
思い出すのは、母のふくよかな柔らかい胸と、私に聴かせてくれた歌声ばかりだ。

《兄家族と私からのバースデーケーキ》
ただひとつの『笑顔』のために。。。


お昼頃、グループホームから届いた写真には、もう一つの家族に囲まれた幸せな母の顔があった。
iPhoneごしの小さなスクリーンの中で、私の縫ったエプロンを付けて笑っている母の頬に、人差し指で何度何度も触れた。


今、世界中が家族と暮らす時間について、その大きさは様々ながら色んな思いを巡らせているだろう。
いつかは消えてしまうものだからこそ、その価値は計り知れなく大きい。

母はやがて、私のことを忘れてしまう時が来かもしれない。
私もいつか、そういう時が来るだろう。

だから、
その時が来ても忘れずに残しておきたい、ただひとつの『笑顔』のために、大切な人たちとの時間を、離れていても大切にしたいと思う。

逢えなくても、大切にしたいと思う。。。