
2014年04月24日
日常。。。
幸せの後の日常は、わけもなくもの悲しい。
悲しみの後の日常は、言いようのない安堵感でつつまれる。
生真面目に、そして同じように訪れる日常が、私は時々、気の毒になる。。。
川原の菜の花たちは、幸せの後も、悲しみの後も、優しく美しく心に届くから不思議だ。
それは菜の花だけでなく、この世のお花たち全部にいえることだ。
せめて、どんな日常の中にいても、立ち止まって花を見つめる時の自分だけは、変わらずにいたいと思う。。。

悲しみの後の日常は、言いようのない安堵感でつつまれる。
生真面目に、そして同じように訪れる日常が、私は時々、気の毒になる。。。
川原の菜の花たちは、幸せの後も、悲しみの後も、優しく美しく心に届くから不思議だ。
それは菜の花だけでなく、この世のお花たち全部にいえることだ。
せめて、どんな日常の中にいても、立ち止まって花を見つめる時の自分だけは、変わらずにいたいと思う。。。

幾つものかなしみの後で
僕は知ってゐる
日曜日のあとには
月曜がくるのだと。
「ノート」1933年
立原道造
僕は知ってゐる
日曜日のあとには
月曜がくるのだと。
「ノート」1933年
立原道造