
2016年08月14日
盆の蝉に。。。
お墓参りに行く途中、小さな集落の神社に立ち寄った。
すぐ耳元で啼いているような蝉の声は、年々小さくなっている。
社殿の前の石階段に、見つけてくれと言わんばかりに蝉の脱け殻。
たった今飛び立ったばかりの蝉が、未だ近くでその殻を見ているような気がして、一瞬戸惑ったけれど、私はそっと掴んで手のひらにのせた。

蝉
中原中也
蝉が鳴いている、蝉が鳴いている
蝉が鳴いているほかになんにもない!
うつらうつらと僕はする
……風もある……
松林を透いて空が見える
うつらうつらと僕はする。
『いいや、そうじゃない、そうじゃない!』と彼が云う
『ちがっているよ』と僕がいう
『いいや、いいや!』と彼が云う
「ちがっているよ』と僕が云う
と、目が覚める、と、彼はもうとっくに死んだ奴なんだ
それから彼の永眠している、墓場のことなぞ目に浮ぶ……
それは中国のとある田舎の、水無河原という
雨の日のほか水のない
伝説付の川のほとり、
藪蔭の砂土帯の小さな墓場、
――そこにも蝉は鳴いているだろ
チラチラ夕陽も射しているだろ……
蝉が鳴いている、蝉が鳴いている
蝉が鳴いているほかなんにもない!
僕の怠惰? 僕は『怠惰』か?
僕は僕を何とも思わぬ!
蝉が鳴いている、蝉が鳴いている
蝉が鳴いているほかなんにもない!
1933.8.14
2カ所の小さな集落のお墓は美しく草が刈られ、色とりどりの花が供えてある。
ろうそく、お線香、数珠、お花・・・
何組もの家族が、この小さな村に訪れる。
夏の陽射しの中でも、墓石はそれほど熱くなっていないのは、訪れた親族達が準々に、やかんにくんだ水をかけているからだろうか。
戦没者の墓の前に蝉の脱け殻を置いて、私はまた蝉の啼き声に耳をすました。。。
ちょうど83年前の今日、生まれた詩『蝉』のはじめの6行が、頭の中をぐるぐるしていた。。。